中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

形似容易神似難

 ロシアのカザンで開催されていた世界大会では、日本人選手たちもメダルを獲得したらしいけれど、捜狐の記事では、中国チームの厳平コーチのコメントを引用しながら、外国人選手の演武に欠けているものについて指摘している。

 

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 やや乱暴だけど、自分なりにその要点をまとめると、武術の套路というのは、ただ静止動作(肢体、筋肉、姿勢)の美しさ(1)だけではなく、身法や歩法などの動的要素(2)を、攻防意識(3)と結びつけて行なうものだが、多くの外国人選手の演技は、まだ機械的な肢体動作((1)と(2))のレベルに留まっており、(3)の「内涵」がないため、「味」に欠ける(还缺点味道)、といえるだろうか。

 記者は、端的に「有形無神」とも記している。

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このように、外国人の演武を「味がない」と批判するのは昔からあることと言ってしまえばそれまでだけれど、「味」とか風格というのは、見る人の主観・好みに左右されるところが大きく、ましてや外国人には説明がしにくく、武術競技の普及の妨げになるということで、採点の要素から極力排除しようというのがこれまでの流れだったとすると、競技レベルが上がってきて、外国人選手にもいよいよこういう「内涵」が求められる時代になったとも理解できるかもしれない。そう考えると、武術競技の普及が確実に進んでいることをうかがわせる。

 

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武術の套路の「味」、「内涵」という点で最近印象に残ったのは、徐雨辰(陝西チームのコーチで、太極王子・呉雅楠の育ての親、徐毓茹のお父さん)が馬鳳図の教えを回想した文章。(『甘粛通備武藝』所収の徐雨辰「文武兼通 風範永存 ---憶馬鳳図先生」。初出は雑誌『武林』の1985年第10期)

 

徐雨辰が、同じ動作をやっても、どうしても馬鳳図がやってみせるようにできないのはなぜかと質問をしたら馬鳳図は、かつて東北で郝鳴九と交流をして劈掛拳を教えたときに、郝鳴九も「どうしてもその味が出せないんだよなあ(我怎么总学不到你的神气呢?)」とぼやいたことを例に、「外形を真似するのは容易だけど、その内面を真似るのは難しい(形似容易神似難)」と答えたことを記している。

 

別の場面で、さらに馬鳳図は

「学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あや)ふし」という論語の語を引きながら、「苦練と勤思の二つを備えて、はじめて武術において堂に昇り、室に入り、純粋な深い功夫に到ることができるのだよ」と徐雨辰にいい、さらに

 

「古人は、師の教えと資質と努力の三者が備わって初めて上乗に到る、といった。・・・略・・・雨辰、きみは少なからずの名師から教えをうけ、資質もまあ聡明だ。師の教え、資質はともに備わっているといえる。形を真似しながらその内面を模倣し、内面を模倣するなかから創新が生まれるのだ。」と語っている。

 完全には理解できていない気がするけれど、条件は揃っているのだから、あせらず「功夫」を積み重ねるしかないのだ、と教え諭しているようで、どの言葉も、とても心に響く。

 

なお、ここで「内面」と仮置きしたのは、「神」とか「神気」。同じ意味で、「神韵」という言葉が使われることもあるように思う。どれも端的な日本語に置き換えるのは難しいけれど、実用技術とかスポーツという世界を越えた「藝の道」に繋がっている気がする。それは、この電子メモ帳を通して確認したい隠れたテーマの一つでもある。

 

序雨辰(左)、徐毓茹(中)、申子栄(右)

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“太极王子”吴雅楠恩师徐毓茹的武术人生 - 全球功夫网

 

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