中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「鷂子高三」など

たまたま「鷂子高三」こと高占魁について調べていたら、最近「鷂子高三」という映画がクランクインしたというニュースがヒットした。

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また、気づかなかったけれど、2016年の9月には、陝西省銅川市耀州に鹞子高三記念館がオープンしていた。

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少林拳術秘訣』にでてくる「高某」「三原高氏」について、唐豪はその実在を疑問視していたけれど、笠尾恭二編訳『宗法図説 少林拳術秘訣』によると、この「高某」「三原高氏」は、近年になって陝西省三原出身の高占魁(春明と号した)に比定されているらしい。同書から、そのあたりを解説した部分。

 

〇編訳者による解説部分

…巻末の先人語録に原著者が師事した日本人老師「津川氏」の名が見え、またその次には猴拳達人「三原高氏」の語録が掲げられている。

 この「高氏」は前半から登場し、原著者に極めて強い印象を与えた人物であったことがうかがえる。にもかかわらず、唐豪ら多くの研究者はその実在性を否定していた。だが、私は最近になって三原(陝西省)に清末、高春明(通称「飛腿高三」)という当時著名な達人が実在していたことを確認できた。P.287

 

〇本文の一部と、※印以下は編訳者による注釈

 三原高氏(※)は言った。

 

 猴拳の創始について、ある人は華佗祖師の五禽戯に始まるという。しかしながら当時の五禽図に描かれた手法を考察すると、猿の動きの一部から工夫して腰腎鍛練の法としたものに過ぎない。八段錦にもある「老猿搬尖、腎腰を固くす」の導引法と同じである。技撃としての手法、身法を伝えたものではなかった。

 先輩たちから伝わった話によると、実は猴拳の起こりは山西の馬氏であるという。馬氏は中年になってから山に入り技撃を修練していたとき、たまたま出会った某道士からこの術を授かったとのことである。

 身のすばやいさばき、眼光の鋭敏さ、体躯の活発な動きなど、世の中に猿の右に出るものはない。ゆえに人は猿から法を取らざるを得なかったのである。

 

 ※訳注

「三原高氏」は本書原著者が各地で交流した武術家の中でも重要人物の一人となっている。しかし原書に高という姓はあっても名が無く、これまで実在の人物か否か確認されたことはなかった。ところが近年刊行された洪述順『五套伝統武術』(陝西人民教育出版社一九八七年刊)によれば、陝西省三原県に清末、高春明という著名な武術家がいて、現代までその武術が伝来しているという。「三原高氏」について初めて公になった記述として重要である。それはまた本書原著の信頼性を高める貴重な資料ともなるので、ここにその一部を引用しておきたい。

 「高春明先生は陝西省三原県の人である。幼少から武術を習い、全国各地をあまねく歩き、武林の名師を訪ねては師として学んだ。修練の功は深く、軽功、硬功、軟功、地躺功などいずれにも通じて、『飛腿高三』などと呼ばれた。その武術套路は南北拳撃の長所を一身に集めたものであり、拳法として技法にすぐれ、また身体鍛錬法としても価値が高く、西北地方だけでも数十種の型が流伝している。」

 なお、原書には、もうひとり高姓の人物として「先師高濼園先生」が現れる。「先師」というからには旅先で単に短期間交流した「三原高氏」とは明かに同姓異人と見なすべきであろう。PP.380-381

 

気になって手元の別の資料を見てみると、中国武術人名事典』(1993年…①)と中国武術百科全書』(1998年…②)の高占魁の条の書きぶりはよく似ていて、②は①を下敷きにしていると思われるけれど、①にはない『少林拳術秘訣』に関する記載が付け加えられていることがわかる。

 

〇『中国武術人名辞典』「高占魁」の項

高占魁

1816-1903

别号“鹞子高三”。武术家。陕西高家拳创始人。陕西三原人。4岁从大哥练武。道光十年(公元1830年)从僧人园净长老习艺,后到河南少林寺入徒3年,学心意拳,六合拳,十字战拳与棍术等。先后结识陕西名拳师“黑虎邢三”,“饿虎李四”等,被誉为“关中四杰”。继又从山东,湖北高手为师,其技击,轻功,刀法,棍术等,达到炉火纯青的境界。晚年在渭北一带收徒,将古老,分散,只能散式单练的“关中红拳”编串成套,引出“小红拳”,“大红拳”,“二路红拳”等,使之刚柔相济,内外合一,强调内家功的训练以意帅行,化心意为新意,于“关中红拳”中,溶进了“江南的身法”, “河南的跑法”, “山东的打法”,“陕西的刁法”,并于同治初年创立了独具风格和特色的“新意红拳” --高家拳。

 

〇『中国武術百科全書』の「高占魁」の項

高占魁 (1816- 1903)

清代武术家,陕西高家拳创始人。幼名宝童,号春明。陕西省三原县人。农家出身。4岁起从兄练武,天资聪慧,身手矫健,进步颇快。亦从邻居杨青习武。道光十年(1830)起,先后从三源清麓寺僧园净长老、郭存志及北寺马殿二僧习陕拳。后到河南登封少林寺入徒3年,学得心意拳、六合拳、十字战拳与棍术等。成年后,遍游大江南北,寻访名师,先后结识陕西名师“黑虎邢三”、“饿虎苏三”、“通臂李四”。4人被誉为“关中四杰”,以占魁为首。又从河南丁文庆、山东王氏、山西杨氏、江南汪氏、湖北温氏、河北何氏等习少林拳通臂拳、花拳、猴拳等。为学习腿法绝技,占魁当店铺雇员一年,方得秘传腿法。因其武功高超,腿法精绝,纵窜如“鹞”,故又称“飞腿鹞子”;又因其行三,还称“鹞子高三”。擅技击,善用腿,轻功绝好。据《少林宗法》载,高占魁以精于猴拳名扬关内外。《少林拳术秘決》称其为陕西技击最著者。晩年在渭北ー带广收门徙,将古老、分散、只能散式单练的“关中红拳”编串成套,引出“小红拳”、“大红拳”、“二路红拳”等,使之刚柔相济,内外合一。强调“内家功”的训练以“意”帅“行”,化“心意”为“新意”,于“关中红拳”中融进了“江南身法”、“河南跑法”、“山东打法”、“陕西刁法”。同治初年创立了“撑补为母、勾挂为能、化身为奇、刁打为法”的风格独特的“新意红拳”,即陕西高家拳,又称“鹞子拳”。其代表拳艺有红拳、炮捶、子拳(猴拳)、子棍。高家拳在陕西、甘肃、四川、河南诸省流传较广。 (昌沧)

陳亜斌『三秦武術』(2010年…③)の高占魁を紹介したページでは、①、②に見られる少林寺での3年間の修行についての言及がなく、かわりに終南山の猟師を生業とする師匠のもとで3年修行したとの伝説が紹介されている。(この伝説が意外に面白かったりする。) 高占魁が「三原高氏」であり、実在の人物であるとしても、彼を少林寺と結びつけることまでは確認ができていないのかもしれない。

 

〇陳亜斌『三秦武術』から。 

猟師である師父が外出している隙に、師母に後ろからいきなり抱き付き、異常を感じた師母が無意識に秘伝の「裙攔腿」でこれをはねのけると、「師母(師娘)、感謝します」といって去っていったという。わけがわからぬ師母、師父が帰ってきたところで、高三が失礼なことをするから、秘伝の蹴りを見舞ってやったわ、と師父に告げると、師父は「やつが欲しかったのはまさにその蹴りだったんだよ」といい、二人で顔を見合わせて笑ったのだというお話。伝説の域を出ないお話ではあるけれど、セクハラを装って秘伝を得るとは…。

关于“鹞子高三”带艺投师的传说讲道:“鹞子高三”行走于江湖,带艺投师到终南山驱虎猎豹老拳师处,学艺三年,不得其窍。一日师傅外出,师娘在家,正在厨房做饭,高三上前,突然从身后欲抱师娘。师娘感觉背后异常,回身一个裙拦腿,一腿将高三打出ー丈开外。高三在院庭连叩三个响头,道声“谢师娘!”抱拳拱手而去。师傅回来,师娘眉色飞舞,说起自己如何用家传绝招将徒弟打出丈外。师傅看着毫无心计的老伴,说出了谜底:徒弟学艺三年,要的就是这ー腿,如今,腿招已露,徒弟已得真传,自然离去,不会再回。两人相对一笑,显出无奈状。PP44-45

 

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また、②、③では郭存志(③では耀県の人物とされる)に学んだとされているけれど、陝西武術網にも掲載されている胡克禹「“高家拳”是耀州武术极为珍贵的 历史文化遗产」④では、名前はやや違うものの高占魁は紅拳大家の郭従志に学ぼうとしたが、果たせなかった、とされていて、異同がある。

 

耀州野狐坡の紅拳大家郭従志に師事しようとしたが果たせず、のちに兄の紹介により三原県峪口山清麓寺の僧・圓静趙老を師とし紅拳を学ぶ

 

早先求师耀州野狐坡红拳大家郭从志未果,后经大哥引荐,拜三原县峪口山清麓寺僧人园静长老为师习练红拳」

 

生没年も、①、②は1816-1903だけど、③は1816-1902、④や、陝西省非物質文化保護中心のサイトでは1812-1904と資料によってバラバラ。このあたり全部含めて、高占魁の活動については、詳しいところは資料がないので確認できないことも多いのだろう。

それでも、 彼の功績として、個別の技法(招数)として存在していた紅拳を套路化し、それによって技法が整理されたことを多くの記事が指摘している。とりえずのメモとしてはそれでよしとしておこう。

 

同時代の人物としては潼関の餓虎蘇三(蘇海潮)、臨潼の黒虎邢三(邢福科)、「通背」の李四(④は耀州の人物とする)がいて、「三三(敢えて日本語にすると「三人の三男坊」みたいな感じか?)」とか、「漢中四傑」などと称されるらしい。

 

〇陝西武術網の胡克禹「“高家拳”是耀州武术极为珍贵的 历史文化遗产

この記事は、同治三年に、固原提督雷正綰の武術教習となったこと、1863年に陝西布政司団巡撫の張集馨の探弁(高級警衛)を務めた、などと記述が具体的なのが興味深いけれど、どのような史料に基づいているのかは不明。

www.sxwushu.cn

 

CCTV『走遍中国』の 『武林伝奇』シリーズには紅拳を特集した回があり、高鹞子の子孫が登場。ここでは伝説とことわりながら、高鹞子は山西巡撫の保鏢でありながら、太平天国の石達開の密偵であったと紹介されていたりして、びっくり。

 紅拳体系の中の猴拳らしき動画も出てくる。陝西チームのお家芸の一つに猴拳・猴棍がある(あった?)けれど、それはこういう伝統の中から生まれてきたのかと納得。(趙長軍は実際、紅拳の張俊徳に師事している。)

 

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〇以下の記事では、戚継光の『紀效新書』「拳経捷要篇」の三十二勢には紅拳の技が多く含まれ、陝西方言によって説明されている部分も多いとされている。具体的にどこが陝西方言なのか、気になる。

戚继光在《纪效新书·拳经捷要篇》收录了红拳较多内容,《太祖红拳三十二势》中详细介绍了红拳,用许多陕西方言记载了红拳的技法特点,至今红拳还在沿用。

www.xinyaozhou.com

 

〇長年、陝西省武術隊を率いた馬振邦が晩年、紅拳の保護に熱心であったことは以前にメモした。紅拳は国レベルの非物質文化遺産に認定されている。

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映画『鹞子高三』、完成したとしても日本で公開されることは100%ないと思うけれど、機会があったら観てみたい。

 

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2017.8.27

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