中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

村上兵衛『守城の人―明治人柴五郎大将の生涯』など

最近、面白そうだと思って読んでみた本で、このブログの観点からはど真ん中ストライクではないものの、それぞれに少しずつ興味深い点があったものを、備忘録としてまとめてメモ。

 

村上兵衛『守城の人―明治人柴五郎大将の生涯』
義和団事件のとき北京に篭城した柴五郎の伝記。
北京篭城のエピソードもそうだけど、会津出身(まだ子供だけれど)ということで戊辰戦争後の東京の謹慎所での生活、青森での極貧生活を経て再び東京に出て、なんとか陸軍幼年学校に合格、次第に頭角を現してゆくという、まさに激動の人生で、面白かった。

はじめて北京に赴任した柴が朝鮮半島経由で帰国するときに、北京の保険会社に人をつけてもらったことになっている。

この保険は、普通とちょっと違う。会社は保険証書といっしょに、その会社の印のついた小旗をくれる。この小旗を、馬車に飜しておけば、「馬賊」の襲撃を受けることはない、という。
 また、それほど危険でないところでは、馬車の側に、「会社」の印のある青龍刀をぶらさげ、安全を「表示」してくれた地域もあった。
 要するに、前門の「保険会社」なるものは、満州のいわば正統の馬賊に顔が利き、それぞれの地域の頭目たちに、通行料を前払いする代理店のようなもの、と思えばよい。そこで「通行料」(買路銭)を払い込んでおけば、旅行者の途中の安全は、彼らによって確保されるのであった。P.344)

この前門の「保険会社」って、三皇炮捶で有名な会友鏢局のことじゃないのかなあ・・・ などと思いながら読んだ。

 

守城の人―明治人柴五郎大将の生涯 (光人社NF文庫)

守城の人―明治人柴五郎大将の生涯 (光人社NF文庫)

 

 

〇会友鏢局

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写真は『老北京網』から

oldbeijing.org

  

義和団については、最近、書評を見つけてとりよせた止庵『神拳考』はかなり面白くて、義和団員の行動原理がよくわかった気がした。この本についてはできれば別途メモしておきたいのだけれど、内容が濃すぎてまとめられる自信がない。

 

2伴野朗『元寇
小説。冒頭で一指禅使いの少林僧念海が登場、アラブ商人のアヌスの命を救う。
その後、念海はモンケ・ハンの意を受けたアヌスの手先になって、フビライ(まだ、ハンになる前)を暗殺しようとしたり、高麗では親元派の手先として反元派の趙彜の命を狙い、その場にいあわせた来住三郎太(河野水軍の河野通有から大陸情勢視察のために送りこまれた、波流(なみのながれ)なる剣術流派の使い手。必殺技は「波千鳥」という)との対戦があったりする。

ちなみに、少林武術については、上記の一指禅のほかにも井拳功、百歩神拳などの説明があり、このへんのネタは『少林宗法』あるいは『少林拳術秘訣』かと思ったら、巻末の参考文献に松田隆智中国武術』とあった。作者は朝日新聞上海支局などで長年勤務されたよう。

古い本だからネタバレになるけれど、二度の元寇というのは、元が日本を支配しようとしたというよりは、支配下におさめた高麗と南宋が保持している軍隊を棄てる(棄兵)ことにあったのではないかというのが作者の観点だった。

 

元寇 (講談社文庫)

元寇 (講談社文庫)

 

 

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3.繁田信一『殴り合う貴族たち』
平安貴族は徒手武術の使い手で、古典に見られる「拏攫」などの語は、彼らが用いた技法を表していることを紹介した驚きの書。
…というのはウソで(「拏攫」は「とっくみあい」というほどの意味)、平安貴族そのものが殴る蹴るをしたわけではないにしても、その取り巻きたちを含めて、平安貴族たちの生活は暴力ととても近いところにあったらしいことがわかり、とても興味深かっかった。

彼らは屋敷の前を牛車から降りないで通ろうとするほかの貴族たちに投石をしたり、気に入らない相手を捕まえてきては殴る蹴るの暴行を加えてたり、髻(もとどり)を露わにする(現代人の感覚では「人前でズボンがずり落ちて下着を見られてしまうくらいに恥ずかしいこと」(P.20)であったらしい)などの行為を行っていたのだという。
その他、自分の菩提寺を建設するために必要な資材を、羅生門などの公共物から勝手に拝借してしまうなどの行為(もともと十分にメンテナンスがされていたとはいえない状況であったとはいえ)も紹介されていた。
雅な世界とかにはあんまり興味がなく、日本の古典にほとんど興味がもてなかったのだけれど、この本はそういったエピソードが軽快な語り口でたくさん紹介されていて、あっという間に読み終わってしまった。

 

この本で紹介されているのは平安時代の貴族とそのとりまきの例だけれど、同じように権力をもっていた寺社で囲い込まれたとりまきたちが僧兵になるんだろうか。

 

 

4.伊藤正敏寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民

3.の本を読んで、最後の部分に書いたような疑問をもっていたら、たまたま地元の図書館でこの本を見つけた。

寺院を宗教施設と決めつけないで、広大な領地や財産をもち、幕府や朝廷の警察権の介入を拒否して、自らそれらを執行する実力を持っている実体であり、そこには最新の技術や知識をもった大勢の人が暮らしていると考えると、全然捉え方が違ってくる。

ときには、寺社が持つそうした治安維持のための実力の動員が、幕府や戦国大名の側から求められることもある。

もちろん、この本で紹介されているのは日本の事例だけれど、いろいろと参考になる視点が得られた気がする。

たとえば、少林寺を寺社勢力と捉えて、その観点から、唐の建国を助けたことや、明代に倭寇鎮圧に協力したこと、後の清朝との関係を考えなおしたら、違ったものが見えてくる気がする。

また、政府の側からいったんは寺社に身をよせ、さらに梁山泊の一員になった魯智深のお話なども、そういった観点から考え直してみたら面白いかもしれないと思った。

 

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

 

 

5.藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』

3、4とならんでこれも日本史に関する本だけれど、3は貴族、4は寺社に焦点を置いているのに対して、この本では村落に焦点をあてていた。

この本に描かれた戦国時代の農村は、地元の図書館で以前に読んだフィル・ビリングスリーの『匪賊―近代中国の辺境と中央』に描かれていた、農閑期に匪賊的行為を行なう中国の農村の様子と似たところがあると思った。深く読み比べてみたら面白い気づきがあるかもしれない…と思った。

 

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

 

 

フィル・ビリングスリー著 山田潤訳『匪賊―近代中国の辺境と中央』の表紙

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匪賊―近代中国の辺境と中央

匪賊―近代中国の辺境と中央

 

 

6.東郷隆『【絵解き】雑兵足軽たちの戦い 』

5.とのつながりで「雑兵」のなりたちや装備の変化について解説された本で、とても面白かった。

 以下、「やり」の発生についてかかれた部分をメモ。

 

  多くの研究家は、この種の兵器の起りを、元弘、建武南北朝争乱期に当てている。それ以前からすでに存在していたという説もあるが、現在のところ「やり」に付けられた鍛冶銘などで朧気に推定するしかない。

 それ以前、古代からたしかに有った同種の長柄武器は「鉾(矛)」であった。

 正倉院の御物にも多く現存しているが、その柄は短く、穂の付け根を木部に被せるよう筒型に成形されている。が、この形態が鉾の極まった特徴ではない。鑓にも同型式の「袋槍」というものが存在する。

 最大の区別は、その使用法だろうか。敵を前にして、鉾は両手、または片手で突き出し、引く動作を繰り返す。ところが、鑓はまず左手を前にし、右手で後方の柄を握って構えた後、目標物に対して右手を押し出す。この時、左手は動かさない。鑓の柄は、左手の掌の中でスルスルと滑るばかりである。左掌は単に長い柄のガイドにしか過ぎないのだ。

 この動作を「繰り出す」と称する。こうすると、素早く穂先が前後し相手に柄の部分を握られることがない。また、正確に目標位置を狙え、失敗しても再度のアプローチが可能となる。

 繰り出すという手技には、また隠された威力増加術も含まれている。鑓を右手で前後させる際、手首のスナップをきかせると柄が回転し、穂先も大きく回る。刺突した時の破壊力、甲冑の小札(こざね)を貫通する力も刃先の回転力で増すのである。このあたりが鉾に取ってかわった理由かと思われる。PP.91-92

 

鉾が槍に置きかわってゆくという流れは中国も同じだけれど、ここの部分を読んでいて、もしかすると明代以降の槍術書のなかでしばしば取り上げられる片手突きの技は、「鉾」の時代の技の名残なのではないかという気がしてきた。

それに、「繰り出す」ことを前提としない場合には、片手突きに変化するときのことも考えると、後ろの手が鑓の中段あたりをもっていたほうがバランスが取りやすい気もする。そういう目で『紀效新書』「長兵短用説」の図を見ると、「夜叉探海勢」は明らかに中段を持っているし、その他の諸勢も、中段近くを保持しているように見える。

それに較べると、後世の程宗猷や呉殳の槍の持ち方は、槍を持つ位置が、全体的により後方になっている気がする。

 

〇『紀效新書』「長兵短用説」の「夜叉探海勢」(注)

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『紀效新書』「長兵短用説」の「四夷賓服勢」(中平槍法)、『秘本長槍法図説』の「中四平槍勢」、『手臂録』の「四夷賓服勢」

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『紀效新書』「長兵短用説」の「鉄牛耕地勢」、『秘本長槍法図説』の「鉄牛耕地槍勢」、『手臂録』の「鉄牛耕地勢」

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ただ、この動画などを見ると、最初はやや後ろの部分を握っていて、相手に距離をつめられてからは中段に持ち位置を変えるなど、臨機応変に変化しているようにも見えるので、わずかの図版だけをもとに決めつけることもできなさそうだけれど、とりあえずのメモとして。

 

www.youtube.com

 

〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

 

 同じ著者の安録山についての小説も面白そうなのでメモしておこう。

肥満 梟雄安禄山の生涯

肥満 梟雄安禄山の生涯

 

(注) 『紀效新書』は中華書局の盛冬鈴点校本、『秘本長槍法図説』『手臂録』は人民体育出版社の『中国古典武学秘籍録』より。以下の諸勢も同じ

 

7.加来耕三『刀の日本史』
日本刀の歴史と、代表的な名刀についてかかれた本だけれど、何箇所か中国刀法についても言及した箇所があった。
特に139ページ目以降に、笠尾恭二『中国武術史大観』によりながら、倭寇の刀法について記載した箇所があり、ここで展開されている片手持ち、両手持ち、間合い、拍子についての議論はそれほどの分量ではないながら、とても面白いと思った。この辺について、もう少し詳しく解説してほしいと思いながら、とりあえずメモ。

 

刀の日本史 (講談社現代新書)

刀の日本史 (講談社現代新書)

 

以下は、最近見つけた、このへんのテーマを扱った論文。

大石純子・ 酒井利信 『「紀效新書」における日本刀特性を有する刀剣の受容について:18 巻本と 14 巻本の比較を通して』

 

山本純子『「武 芸 図 譜 通 志 」 に み ら れ る刀 剣 技 の 成 立 に 関 す る 一 考 察 主 として 日本 ・中国 との関係 から―』

 

林伯原『明代中国における日本刀術の受容とその変容』