中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

雲南省の非物質文化遺産

雲南省の省レベルの無形文化遺産(非物質文化遺産)である沙氏武術の市民向け無料講座が開かれたという記事を見て、雲南省の省レベルの無形文化遺産について調べてみたら、2013年に公表された第3次リストの「伝統体育、遊戯と雑技」のなかに以下の5つの項目があった。カッコ内は、民族名と、保護単位。

 

・昭通清拳 (漢族 昭陽区文化館)

・団山民間伝統武術 (彝族 箇旧市群衆芸術館 )

傣族伝統武術 (傣族 景洪市文化館)

・点蒼派武術(漢族 大理市非物質文化遺産保護管理所)

・沙氏武術 (漢族 沙国政武術館)

 

◎出典

http://govinfo.nlc.cn/ynsfz/xxgk/yns/201312/P020131213841046249167.pdf

 

◎沙氏武術の市民向け無料講座開催に関する記事 

 

以上のうち、団山の伝統武術については情報がヒットしないものの、残りの4つの項目(拳種)についての参考情報をメモ。

 

1.昭通清拳

 昭通の清拳とは、以下のリンクの記事によると鄒家拳と彭家拳の総称で、ともに清末に成立したもの。康戈武(彭家拳の彭勤(後述)の弟子でもある)が両者をあわせて「清拳」と命名したのだという。

 鄒家拳は、太平天国の翼王石達開の部将・万振坤が昭通に身をひそめていたときに伝えた「南少林拳」をベースに、自然門の要素などが取り入れられているらしい。

 彭家拳は、金沙江一帯で流行していた、四川省宜賓の生門武術(創始者は馬徳勝)を学んだ昭通の人・彭勤に由来するらしい。彭勤は馬徳勝から五虎拳と軽功・勁功を学んだあと、昭通にもどって梅花拳や綿拳を学び、さらに大理の鶏足山で気功(妙承師父)を学んで、1932年に昭通で国術社を設立している。(このあたりの情報は、以下のリンクの雲南網の記事から。)

ひとくちに金沙江といっても青海・チベットから四川・雲南まで広大な流域を含み、生門武術が金沙江一帯で流行していたという言い方がどこまで正しいのかわからないけれど、逆にいうと、金沙江を通じてこれらの地域が繋がっているということは少し注意しておきたい。

 やや話がそれるけれど、やまもとくみこ『中国人ムスリムの末裔たち 雲南からミャンマーへ』によると、元の時代に屯田兵部隊として、雲南省内の軍事拠点(つまりは交通の要所、交易の拠点)に配置された回族は、その後も皇帝から自由な移動を許され、清代になると雲南ミャンマーを結ぶ交易路だけでなく、チベットへ、貴州へ、四川へ、ベトナムへ、タイ・ラオスへと全方位を掌中に納めたという(この本自体は、雲南省からミャンマーに移住した回族の子孫に取材したもの)。

 「中国武術在線」の生門武術の紹介(庞廷华、吴宗明、郭建「四川生门武术浅述」)によると、彭勤が学んだという宜賓の馬徳勝は回民だけれど、それはこうした回族の商人たちのネットワークと関係があるのだろうか。ごく大雑把にいって、山西商人の間で保鏢業が用いられ、新安商人の間では保鏢へのアウトソースではなく自衛の風習が生まれたと仮定できるとするならば、西南地方の回族商人たちは自分たちの交易上の危機管理をどのような形で行ったのだろう。前掲の『中国人ムスリムの末裔たち』でも、ミャンマー方面の交易に携わった回族商人(「馬幇」と呼ばれる)が、首狩り族といわれるワ族の居住地域にも自分たちの拠点(パンロン)を築いていることがわかるけれど、何かしらの自衛手段が必要であったと思われる。このあたり、面白そうなテーマが潜んでいる気がする。

 なお、馬徳勝に武術を学んだ昭通人はほかに「雲南王」龍雲廬漢がいて(ともに彝族)、このふたりと鄒家拳の鄒若衡(漢族)をあわせて、「金沙江三剣客」というらしい。

 

◎ 昭通清拳(鄒家拳と彭家拳)についての雲南網の記事

society.yunnan.cn

 

◎昭通信息網の記事

  昭通武术奇葩――清拳

 

鄒家拳の動画

v.youku.com

 

 

2.族武術

抗倭戦争でも活躍した双刀使いの瓦氏夫人は広西の壮族といわれているけれど、以下の映像や写真で見る族武術の中にも両手で持つ武器がある。漢族以外の武術のなかで両手で武器をもつ武術というのは一般的なんだろうか。また棍の操作も、苗刀などを彷彿させるものがあり、とても興味深い。

 

◎動画(棍)

www.zhuatieba.com

◎動画(双棍) 

www.zhuatieba.com

 

◎徳宏網の記事

m.dehong.gov.cn

 

◎景洪政務信息網の記事

www.jhs.gov.cn

 

◎瓦氏夫人についてもふれた、以前のメモ

zigzagmax.hatenablog.com

 

3.点蒼派武術

 この流派については、以下の動画に少し出てくるものの、詳細はよくわからない。

 大理は現在白族自治州。太平天国の乱とほぼ同じ時期に起こった杜文秀回族蜂起(パンゼーの乱)の中心にもなった。このあたりの歴史や民族関係は実に複雑。

赵氏兄弟拜访点苍派传人 寻散打实战技法-20130904经典人文地理-凤凰视频-最具媒体品质的综合视频门户-凤凰网

 

4.沙氏武術

 沙国政が雲南省で広げた武術。昭通清拳のところに貼り付けた雲南網の記事によると、生前、沙国政が唯一訪れなかったところが昭通だという。逆に、昭通の選手が昆明で競技に出ると、低い点をつけられると、昭通の人たちは思っていたらしい。そのあたりの昆明(沙氏武術の中心)と昭通の関係は部外者にはよくわからないけれど、今回、沙氏武術と昭通の武術が同時に省レベルの無形文化遺産に認定されているのは、どっちが先に認定されても恐らく大問題になっただろうから、政治的なバランスが配慮されているのだろう。

康戈武は、昭通とも昆明とも話ができる、貴重な人物ということになるんだろうか。

 

文化大革命の時代は、さすがの沙老師も毛沢東を礼賛するかにみえる「 大海航行靠舵手八卦掌」を編集して演武したり、「敬祝毛主席万寿無疆太極拳」、「毛主席語録長拳」を指導するなど苦労された模様(前にもメモした中華気功大全網の記事を参照)。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

◎沙国政武術館のウェブサイト

www.shaguozheng.com

 

雲南省の地図

 昭通市は北東。その向こうに四川省の宜賓市が見える。族武術の景洪市は一番南。箇旧市のある紅谷ハニ族彝族はその北東。点蒼派武術の大理白族自治州は省都昆明の西。

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中国人ムスリムの末裔たち―雲南からミャンマーへ (SAPIO選書)

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回教から見た中国―民族・宗教・国家 (中公新書)

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