中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

新田一郎『相撲の歴史』

ずっと気になっていたこの本、読んでみたら期待以上に面白かった。

 

相撲の歴史

相撲の歴史

 

全体のながれは、序章の以下の部分でも示されている。 

 

・・・日本列島が均質性の高い一体の社会に統合されるのは、じつはそれほど古い時代のことではなく、それ以前の、日本社会が全体としてまとまりをもたなかった時代には、あちこちの地方でさまざまな「相撲」(の原型としての格闘)がおこなわれていたと考える必要がある。それらさまざまな「相撲」相互の交流の過程を経て、ひとつの格闘競技としての「相撲」が形成されていった、と考えたほうがよい。

 では、あちこちの地方におこなわれていたであろう相撲の原型としての格闘は、日本において、どのような過程を経て、現在みられる「相撲」のような形態に成型されていったのだろうか。その過程は、自然発生的なものであったのか、それとも何者かの意志がそこに働いていたのか。この点こそはまさしく、本書の中心的なテーマのひとつである。とりわけ序章から第二章まででは、「相撲」が、特定の様式、特定の意味づけのものに成型されてゆく過程、その過程において国家行事としての相撲節が果たした役割、また「相撲」が国家にとってどのような意味をもったのか、などの点について、歴史学民族学などの成果を引用・援用しつつ述べてゆくことになる。PP17-18

 

自分なりの理解をメモしておくと、相撲節という朝廷行事のために一定程度様式化された相撲は、一種の芸能として、戦場の格闘とはわかれて、専門の人びとによって担われてゆく。それらの人びとは、相撲節が廃れてからも、寺社の奉納相撲で技を披露したり、武士に抱えられることで生計をたててゆく。

江戸時代になって勧進相撲が幕府の公認を得るなかで、正統な相撲故実・格式を受け継いでいると認められた集団のみが相撲専門家として興行権を認められるようになり、全国的な相撲団体の統制システムが形成されてゆく・・・みたいな感じだろうか。(現代の部分を除く。)

 

◎様式化、職業・興行との関係についてふれられた部分

相撲は、現代ではしばしば、柔道・剣道・弓道などとともに「武道」のひとつに数えられるが、そのなかで相撲だけが、はやくから職業化・興行化の道をたどったという、きわだった異質性をもっている。一方で、中世から近世にかけて、武士のわざとしての武芸一般に対して、相撲を一段低くみる見方がかなり根強く存在しており(くわしくは後述)、右にみた、専門的な「職人」による「芸能」としての相撲への傾斜という現象とあわせ考えると、相撲を「武士のわざ」「武道」とする見方は、案外に根の浅いものなのかもしれない。じつはそれは近代の産物ではないか、と私は考えているが、そのあたりについてはまた後にふたたびふれることになろう。

・・・すくなくとも中世以降、武士たちにとっての、あるいは「武家の棟梁」たちにとっての相撲は、みずから取るものというよりは、専門の相撲人に取らせて、自分はみて楽しむものだったと考えるのが、さしあたりは妥当な見方のようである。PP144-146

 

このブログの観点からいうと、中国武術の場合は、相撲と同じように一部芸能化した側面があることは間違いないので、こうした日本の相撲のたどった過程とその分析の視点は、中国武術について考えるうえでも、とても参考になると思った。

たとえば、相撲界では、江戸時代に吉田司家の相撲故実の一元的な伝授をもとに、相撲集団統制のシステムが形成されたのに対して、さまざまな武技の一元的な統制システムの構築をめざした国術運動が、うまくゆかなかったように見えるのは、戦争という時代背景や、相撲と比べて中国武術があまりにも多様すぎることもあっただろうし、相撲故実と比較していうならば、武術故実とでもいうべき、誰もが認めうる共通の物語の構築ができなかったことと関係があるかもしれない。

実際のところ、中国武術界がアイデンティティ形成のための第一歩として、流派の歴史にまつわるさまざまな迷信を排除するところからスタートしようとしたところで、それを受け入れる人々と受け入れられない人びとの間に大きな溝が生じ、そのことは現在に至っても官方の武術史認識と民間におけるそれの違いとして引き継がれているようにも見える。

 

その他、刺激になったところが多くて、個別の論点については一つ一つメモしきれないけれど、今後のメモのなかで反映されることも多いと思う。 

 

以下は、筆者による「あとがき」から。 

 

たぶん、相撲ほど人によりさまざまなちがった見方、楽しみ方をされているスポーツ/芸能は、ほかにはないのだろう。相撲ファンとしては、相撲のもつそうした懐の深さを喜び、それぞれの楽しみ方をみいだし、また他人の楽しみ方をも容認する寛容さをもちあわせておきさえすればよく、「これが正しい相撲だ」という類のしかつめらしい言説は、眉に唾しておいてほうがよいのではないだろうか。歴史の示す「相撲」の姿は、「相撲の本質」をめぐる議論をいったん相対化してしまう、融通無碍のものであった。

 

ここで「相撲」はそのまま「中国武術」に置き換えることができるだろう。

中国武術の玉石混交ぶりを愛するこのブログとしては、このことばを励みに、これからも、さまざまな頭の体操・妄想を続けつつ、自分なりに中国武術を楽しんでゆきたいと思う。

 

ちなみに、本書は増補版が講談社学術文庫から出ているけれど、すでに品切れで中古品は結構な金額になっていて、入手がためらわれる状況。当面はこの単行本で我慢しておくしかない。重版されないかなあ・・・。

 

◎関連する以前のメモ

zigzagmax.hatenablog.com

 

 

 ◎今回は参照できなかった講談社学術文庫の増補版

相撲の歴史 (講談社学術文庫)

相撲の歴史 (講談社学術文庫)

 

 

2016.6.2追記

著者の最新刊

相撲 その歴史と技法

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