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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

宮崎市定『大唐帝国 中国の中世』

年末に押入れのダンボールの中を整理していて目にとまった。たぶん、買った当時は、いつか読もうと思ってそのまま読まずにいたように思う。

タイトルは『大唐帝国』だけれど、唐について語られるのは330ページ目から412ページまでで、分量は少なかった。そのぶん、三国時代魏晋南北朝時代について丁寧に語られていて、とても参考になった。
このブログの観点からいうと、漢代に成立していた国民皆兵の制度が崩れて、少数民族による傭兵が主体となり、代々引き継がれて次第に兵戸を成立していった、というあたりの解説が興味深かった。

梁啓超は「中国の武士道」で、古代中国では成立していたはずの文武両道が廃れて、中国の知識人が文弱に流れてしまったことを嘆くとともに、本来の文武両道に立ちかえることを提唱したけれど、古代中国で文と武が乖離してしまった理由の一端は、こういう経緯とも関係があるかもしれないと思った。

そのあたりの参考になる箇所を抜書き。

年末の整理では、押入れからほかにもいくつか面白い本が「発掘」されたので、これを機会に目をとおしてみよう。

 西方におけるローマ帝国がかつてそうであったように、東アジアにおける漢帝国は、中国を統一すると今度は北方の異民族と対決しなければならなかった。モンゴルの砂漠に出現した匈奴の遊牧帝国の対策に、さすがの前漢帝国も手を焼いたものであった。そして何世紀もかかって、ようやくかれらに打撃を与え、これを分割統治することに成功したのであった。すなわち北匈奴は漢の攻撃にたえきれずして遠く西北方にのがれ、南匈奴は漢に帰服して、万里の長城内に移住することを許されたのである。
 漢代までの中国は、農民が大小の都市をつくって城内に住み、城外の耕地を耕して生活していた。したがって都市と都市との中間には空き地が多い。ところで新たに国内へ移住してきた匈奴などの遊牧民は、中国人とは別系統をなして、空き地に天幕をはり、集落をつくって遊牧の生活を送った。かれらは従前の氏族制度そのままに、かれらの天子、単于の子孫を君長に戴いて、集団を保っていた。
 かれらは中国地方官の支配を受けないが、天子に臣属しているので、ときどき使役に徴発される。とくに戦争のときには、かれらの騎射の才能を利用するために頻繁に動員される。さてかられが戦功を立てても、それは要するに傭兵であるから略奪品の分配にあずかるくらいのことで、正規軍のように地位が昇進することがない。もし負ければまったくの働き損になるわけだ。(pp.125-126)

 中国においては、後漢時代から、豪族による荘園の開発が進行したが、それが土地に関するかぎりでは、新資源の開発を意味する。しかしながらその労働力は、国家の公民を連れ去って私的な隷農として働かせたものである。人民の数はそれほどふえず、むしろ悪政や天災のために減少したと思われるときに、荘園が盛行すればそれだけ、国家の公民は減少をきたすのである。
 このことは二つの結果をもたらす。そのひとつは国家財政の貧困であって、租税負担者が少なくなれば、それだけ歳入は減ることは見やすい道理である。
 つぎには兵役負担者の減少である。これも国家の公民が少なくなれば当然起こる結果にほかならない。そこで政府は、中国人を使用するよりも効率の高い方法として、異民族を軍隊に採用することとした。かれらは生活程度が低いので、給与も少額ですますことができる。また日常が放牧生活なので騎射に巧みであり、戦士として優秀な素質をもっている。かくしてまず軍隊が異民族化されたのであった。
 しかしながら異民族を軍隊に用いることは、一歩誤れば重大な結果をひきおこす。とくに戦争がながびくばあい、かれらはしだいに自己の力量を自覚し、他人の傭兵として働くことに満足せず、自分自身のためにその武力を使用しようとするのはきわめて自然なことである。
 このようにして中国では、董卓呂布にひきいられた異民族騎兵、いわゆる胡騎の内戦参加にはじまり、八王の乱における胡騎の利用を経て、匈奴部族長劉淵一家の独立、その中原征服へと自体は急速に進展したのである。(pp.140-141) 

 しからば軍人皇帝を出した基盤となった軍隊は、これによって地位が向上したか、というとけっしてそうではない。なるほど新王朝の建設に手柄のあった者は賞与をもらい、地位も向上したが、それは個人個人のことである。軍人階級はいぜんとして社会の下積みにされていた。しかも軍隊は漢代までは国民皆兵主義の下に徴兵制度が行なわれたのであるが、三国にはいってから傭兵制度が流行した。これは異民族の軍隊編入と関係がある。
 傭兵は農民ではないから、事がおわったからといって帰農させるわけにはいかない。それとともに軍人の地位は世襲となり、兵戸と称せられ、特別の戸籍に登録されて自由に離脱できないように定められた。かれらはもはや自由民ではなく、不自由民となり、一般から賤民視される階級に落ちぶれたのである。この状態は東晋になっても変わらず、いま軍人皇帝を出した宋朝にも、そのまま継承されたのであった。(pp.212-213)

以上は、北方における少数民族政権の成立。一方、南方では、既存の土着豪族社会の土台のうえに、北方から流れてきた政権が流寓政権として成立。

 すでに政府が北方からの流寓政権なので、南方の土着豪族はあいかわらず田舎者としての待遇を受けるのをまぬがれなかった。ただその実力は政府もこれを認めざるを得ないので、西晋時代におけるよりも待遇は若干改善された。同時にまた政府はつねに警戒をおこたらず、かれらが実権ある地位につくことを極力妨害した。朝廷における用語は北方語であり、土着人の南方語は呉語と称して軽蔑された。両語の区別は日本に伝わった漢音と呉音との相違ほどのものと考えてよいであろう。
 このような低い待遇にたいして、土着豪族が不満を抱きながらも、大反乱を起こすでもなく、辛抱をつづけたのは、流寓政権が北方から強力な軍隊をひきつれてきたためである。この軍隊は揚子江北岸の広陵、のちの揚州と、南岸の京口、現在の鎮江とに駐屯しており、世襲的な職業軍人として政府に使役されていた。
 土着豪族はなによりもまず、この軍人集団をはばからねばならなかった。それと同時に、この軍隊は北方からの異民族の侵入にたいするもっとも信頼すべき防壁の役をつとめる。そこで南方豪族は、むしろ国防を政府と軍隊に委任し、同時に政府に出て栄達する希望をすて、そのかわりひたすら自己の荘園における経済的利益を追求することに満足を見いだしたのだった。(p.147)


以上のような問題を、やや総括的に述べた箇所。

 いったい宋の劉氏や斉の蕭氏を出した流寓の軍人階級というものは、その中に後漢末以来、中原をあばれまわった異民族軍隊の系統が濃厚に混じっており、その気質、その風習が南渡ののちまでつたわっていったのではないかと思われるふしがある。これは文献学の方法で考証して、証拠をあげることはいまのところ困難であるが、巨視的に当代の歴史を観察したときに、十分な可能性をもって推測されうることであり、またそのような仮定に立つと、当時の社会の動きがなるほどと合点ゆくばあいがほかにも出てくるのである。
 三国以来、軍人が傭兵となり、世襲されて兵戸と称せられ、賤民視されて人なみの扱いを受けなくなった。その上層のものは将とよばれ、勲功によって官位がどこまでも昇進する機会があたえられるが、貴族社会からはてんで相手にされないのである。
 一般人民は、その上層に吏と称する階級があり、さらにその上層に士と称する特権貴族階級がある。単なる吏は特別なばあい、たとえば天子の側近にのしあがったときなどには、強大な実権を握ることがあるが、しかし将と同様、貴族社会からは成り上がり者として蔑視される。そこで当時、士の下にあって、兵、民の上にある階級を将吏と総称した。(P.241.242)

その後の展開。

 中国では漢代までは国民皆兵を原則としたが、後漢にはいってから異民族を軍隊に用いることが流行するとともに、いつのまにか傭兵制度が普通になり、軍人は特殊の階級となって賤民視され、やがて兵戸と称せられるにいたった。五胡の騒乱以来、いよいよ軍人は異民族の職業とみられたのであるが、内戦が永続するとともに、従来は文弱で戦争に適しないと思われた中国人も、しだいに武事を習い、勇敢な戦士として役立つようになった。これに着目した宇文泰は、異民族たると中国人たるとを問わず、これに軍事訓練をほどこして国防の責を負わせようとしたのだる。
 政府から均田法により土地を給与された壮丁は、租として穀物を、調として布帛を政府におさめるほかに、力役に服する義務があった。府兵制では、その中から強壮な者をえらんで兵として軍府に属せしめ、農業のいとまに軍事をならわせ、軍府に番上させるが、そのかわりに租調役全部を免除するのだる。
 このような徴兵制の利点は、必要に応じて一時に多数の軍隊を徴集することができるうえ、ことがおわればいかなる大軍でも解散して帰農させても問題を起こさないところにある。これが職業軍人だと、急に大軍を組織しようと思ってもうまくゆかないし、いったんできあがってしまうと、それを解散しようとするときに失業問題が起きるので、不要な軍人をいつまでも養っておかねばならない。そのうちに軍人が老齢になって役にたたなくなっても、整理することができず、国家財政に大きな負担をかける結果になる。(P.310-311)

大唐帝国―中国の中世 (中公文庫)

大唐帝国―中国の中世 (中公文庫)