ヘラクレス、執金剛神、緊那羅王など
東京国立博物館に、『始皇帝と大兵馬俑』展を見に行ったついでに、東洋館で常設展を見ていたら、イラクのハトラから出土したパルティア時代のヘラクレス像に以下のような解説がついていた。
ヘラクレスはギリシア神話最大の人気者で、大神ゼウスと人間の子アルクメネの間に生まれました。彼は「12の難行」を全て命がけでやりとげましたが、オイテ山で焼死し、ゼウスによって神格化されました。
豪放磊落な豪傑という性格は誰にも好まれるもので、アレクサンドロス大王の東征(前334-前323)以後、ギリシアから遠く離れたオリエント世界でも大好評を博しました。ハトラはパルティア時代の隊商都市で、商人たちが各地から 集まり、人とモノ、情報が行き交う所。ギリシアの英雄神はここでも崇拝されていたのでしょう。
ヘラクレスの雄姿はガンダーラ美術にも影響を及ぼします。仏陀の護衛バジュラ・パーニという神がヘラクレスの姿で表現されるのです。用心棒は強くなければなりませんから、あの英雄の姿を借りたのです。この神と仏陀の姿はシルクロードを東へ進みます。東アジアでは執金剛神と呼ばれ、さらに日本まで達したのです。寺院の山門を守る金剛力士つまり仁王さんです。
通常は阿形・吽形の一対で表現される仁王を一体で表現したのが執金剛神、そしてその執金剛神とまちがって、武神として崇拝されてしまったのが少林寺の緊那羅だとすると(注1)、武神・緊那羅王はやや間接的ながら、ヘラクレスの要素も受け継いでいるといえるかもしれない。
いままでのメモ(という名の妄想)を加味すると、緊那羅王は、ヘラクレス ⇒ バジュラ・パーニ(執金剛神/金剛力士/那羅延/仁王)と引き継がれた要素のうえに、
シヴァ ⇒ マハーカーラ (過去のメモ)
などの諸神の要素が組み合わさっていると考えられるだろうか。
もしそうだとしたら、そりゃ強力な武神だ。
ふと太極拳に目を向けると、そういえば、陳式太極拳の第一勢は「金剛搗碓」で「金剛」の名前が含まれている。
陳鑫の説明によると、「金剛」とは神の名前であり、鋼なることと百錬した精金のごとく堅のうえにも堅、その手には降魔杵を持つ。「搗碓」とは、臼のなかの穀(物)を杵で搗つことである。右手の捶は降魔杵の如く、左手はやや屈して碓臼の如くにする。その堅剛沈重なこと、また両手を一処に収めることで心(臓)を守る姿を取って名づける・・・ということなので(注2)、ここでいう金剛も、執金剛神のことだろう。
(つづけて、「金剛降魔杵にあらざれば、誰か妖妖怪怪誰か敢えて阻まん(不是金剛降魔杵妖妖怪怪誰敢阻・・・)」という記述もある。)
なんと、ヘラクレスの棍棒は、少林棍術だけでなく、太極拳にまで受け継がれている・・・。
と、妄想はさらに広がる。
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妄想ついでに付け足し。
英国公使館で西郷隆盛に会ったオーストラリア人男爵ヒューブナーは、西郷はヘラクレスのような身体をしている、と手紙に書いて送ったそうな(加治将一『西郷の貌』)。時代がかわっても第一の英雄といえばヘラクレスなのかな。
ヘラクレス、執金剛神のおはなしは以下の記事も参考になった。
上記でも紹介されている、日本各地の仁王像について紹介した本。(ただいま取り寄せ中)
道教にも金剛功というのがあるらしい。よくわからないけどとりあえずメモ。
(注1)
緊那羅王は本来、那羅延執金剛神であったとは、ほかでもない少林寺の釈永信方丈の指摘
(注2)
五洲出版社版『陳氏太極拳図解』(華厳峰校)による。
最初に引用した部分の原文
「何謂金剛搗碓金剛神名鋼如精金百錬堅而亦堅其手所持者降魔杵也搗碓者如穀之在臼以杵搗之右手将捶如降魔杵左手微屈如碓臼既取其堅剛沈重又取両手収在一處以護心故名」(P.160)