日本ではあまり知られていない中国の民間信仰における神々について紹介された本。同じ著者の、一般向けにもう少し簡単に紹介されたものに平凡社新書の『中国の神さま』があるほか、関連研究として、『道教・民間信仰における元帥神の変容』(未見)がある。
紹介されている神様は、具体的には哪吒太子、玄天上帝、太歳殷郊、関帝(関羽)、華光、八仙過海の八仙など。これらの神々は、明清期に「西遊記」や「封神演義」を通じて人々の間に浸透していったようだ。
武神としての関羽はこのブログでもなんどかメモしてきたけれど、酔八仙とも関係がある、八仙過海のメンバーの成立などがとりあげられていて、参考になった(注1)。
少林武術の信仰対象とされる武神・緊那羅(この本では紹介されていない)は、小説や戯曲でとりあげられるほど一般的に知られた神格ではなかったのか、たとえば斉天大聖孫悟空を制圧するために天界から派遣されるのも、二郎神だったり哪吒太子であって、緊那羅の出番はないけれど、その哪吒太子は本来はナラクーバラであり、漢訳名には「那羅鳩婆」、「哪吒矩缽羅」、「哪吒倶伐羅」などがある、と紹介されていたのが興味深かった。
緊那羅は本来は音楽神で武術とは関係なく、少林武術の本来の信仰対象は那羅延天、那羅延執金剛神であったはずがいつの間にか緊那羅になってしまったのではないかという説もあるけれど(注2)、那羅延、緊那羅、那羅鳩婆と並べてみると、ただの字面にすぎないけれど、ともに那羅の文字を含んでいる。
哪吒太子は、毘沙門天の第三王子で、のちに毘沙門天が李天王(李靖)信仰におきかわっても、引き続き李天王の息子の武神とされ、次第に独自の神格を形成して全国的に認知されてゆくけれど、この過程において少林寺にも影響を与えて、那羅延天信仰が緊那羅信仰に変容した、などというようなことがありうるだろうか。こんな考えは「那羅」の字が共通しているという以上に何の根拠もないし、この本で著者が繰り返し強調するように、ある神格が成立するなかでの、別の神格との影響関係はかなり複雑なので、一つ二つの事象だけをとりあげてみてもあまり意味がないけれど、源を同じくする部分があるとはいえるのかもしれない。
(注1)
八仙の一人、呂洞賓は、「純陽祖師」、「呂純陽」などとも呼ばれ背中に剣を背負っているらしい。あんまり注意してこなかったけれど、武術のいろんな流派にある「純陽剣」の名前はここから来ているんだ、と勝手に納得。
(注2)
阿徳「緊那羅考」(釈永信編『少林学論文選』所収)など。「緊那羅考」については以前にメモした。
興福寺の緊那羅像はここ。