中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

金山宣夫『ヒーローの文化論』

地元図書館にあった本。
スポーツや格闘技のヒーローのこともとりあげていて面白そうだったので読んでみた。もう10年近く前の本なので、出てくる例(カール・ルイスやマイク・タイソン桑田真澄大仁田厚)が古いのは仕方ないけれど、大衆の、「有名人や美談を作り上げてから、こき下ろす」という心理を説明していて面白かった。

日米のスポーツ文化の違いを、野球を例にとって比較した部分では、アメリカでは「プレイヤー」と呼ばれ、競技を「遊ぶ」「楽しむ」ものとされているのに対して、日本では厳かに「選手」すなわち「選ばれた働き手」という肩書きがあたえられ、競技を厳粛に行なわれなければならないものという前提がある、と述べられている。本には書いてないけれど、そもそも対戦を「ゲーム」と捉えるか「試合」と捉えるかによってもかなり異なってくるところがあるだろう。そして、「選手」は、競技そのものだけではなく、日常の立ち居振る舞いなどにおいても、人々の模範たることが求められる。野球は、一つ一つの場面だけ取り出すと、投手と打者の「一騎打ち」「真剣勝負」のような面が強いし、夜な夜なバットを素振りする姿は竹刀や木刀を素振りする武道家のイメージとも重なりやすいと思う。

ヒーローということでいうと、この本の中では中国に関して毛沢東が取り上げられているけれど、イップ・マンの映画が大ヒットし、イップ・マンが急速に民族英雄的に祭り上げられたことが記憶に新しい。
アクション監督の谷垣健治も『アクション映画バカ一代』(この本もめちゃくちゃ面白かった)で「イップ・マンが最後に香港に来る理由だって日本軍に追われたことになっていたけど、本当は共産党から逃げただけじゃん!」(P.135)と書いているけれど、国民党時代に治安関係者を務めていたイップ・マンが、共産党政権の成立とともに家族を置いて香港に逃げてきたというのが真実に近いのだとすると、中国大陸の人たちが彼を(一武術家としてではなく)民族英雄のように支持しているのは、本当はおかしいと思う。

『ヒーローの文化論』からそれてしまったけれど、この本でもう一つ印象に残ったのは、アメリカの評論家ポール・ファッセルの言葉をひいて、「アメリカの中流と労働者階級をスポーツ狂いに追いやる動機が二つある」と延べているところ(P.133)。その一つは「社会的には敗者の彼らが、勝者と一体感を味わう必要」であり、もう一つは「知ったかぶり、独断、記録をとること、人の知らないちょっとした知識、ふつうは“決断を下し”たり“管理し”たり“意見を形成する”階級に独占されている類いの似非学識、を気取ることができる」ことで、知ったかぶりや似非学識を気取るというのは、なんだかこのブログの本質を言い当てているようで、痛いところを突かれた気がした。でも、このブログは、第一義的には自分用の「備忘録」であり「頭の体操」なんだから、これでいいのだ、といって自分を慰めてみる。ファッセルの『階級』も読んでみよう。

ヒーローの文化論―異文化と国際関係 (角川選書)

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アクション映画バカ一代 (映画秘宝COLLECTION)

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階級(クラス)―「平等社会」アメリカのタブー (光文社文庫)

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