中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

柔道対摔跤の御前試合?

常東昇のお孫さんが台湾における摔跤の現状を語るインタビュー記事を見たのがきっかけて、摔跤について検索していたら、たまたま『済南回族武術』という冊子のテキストファイルにたどり着いた。
この冊子は、「済南市伊斯蘭教協会が発行を続けている雑誌『済南穆斯林』から、特に武術についての文章を集めて出版したもの」らしい(注)。
まだぱらぱらとしか見ていないけれど、このなかの複数の文章で、中央国術館の張之江館長は1930年に柔道の視察のために来日して、天皇と謁見、天皇の提案により、同行した楊法武が日本の柔道家と手合わせをすることになり、楊は十二カ国で転戦した歴戦の猛者・佐藤次郎を代表とする四人の柔道家と対戦してことごとくこれを破った、という出来事について触れている。とくに、龐玉森の「中国跤手与东洋武士东京大比武」は、この件について専らとりあげたものになっている。

龐玉森は中央国術館で総務処処長を務めた、とあり、昔買った『中央国術館史』を引っ張り出してみたら、無記名でタイトルは若干異なるものの、ほぼ同じ文章が載っていた(注2)。
『中央国術館史』にも記載されているということで、関係者にとっては「定説」となっているようだけれど、佐藤次郎なる柔道家が真っ赤な和服で対戦に臨んだというところあたり、いささか信憑性がおけないところがある。さらに、この対戦については、マスコミ各社や東京の各国外交団が観戦したと記されているけれど、いまのところそれらしい記録は(ネットで検索しただけだけれど)何も見つからない。
柔道について詳しく調べれば、この佐藤次郎という人についてわかるんだろうか?

ただ、張之江が1930年、東京で開催された第九回極東選手権競技大会の視察のため来日したことは事実らしく、彼自身がその結果を『東遊感想録』という文章にしていることがわかった。その「緒言」は「余於民国十九年秋、薄遊日本、時値第九届国際運動大会、在彼開幕、参観既婁、印象亦深・・・」とはじまり、訪日の感想を3点記すとし、3点目を「対於吾国国術本身之感想」としているけれど、ネット上で確認できるのはここまで。この本を手に入れれば、もう少し正確なところがわかると思うけど、どこかで閲覧できないかなあ。


出典:布衣書局のサイト

ちなみに、張之江の来日に同行したと書かれている楊法武は済南の出身だけれど、済南に武術家、とくに回族の武術家が集まってきたのは、「中華新武術」で有名な馬良が済南に着任し、ここに多数の回族武術家を招へいしたことと関係があるらしい。馬良自身も回族で、保定の平敬一の八大弟子の一人。 同じく八大弟子の一人である張鳳岩の関門弟子の一人が常東昇ということで、常東昇に戻ってきたところで、きりがないのでこのあたりまで。

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(注)
宮田義矢(研究協力者)「済南回族武術調査」の説明による。このレポートもとても興味深い。ただし、きちんと照合していないので、このテキストファイルがここで述べられている由来のものと同じかどうかは不明。

(注2)
『中央国術館史』は黄山書社より1996年に出版。寵玉森はこの本の「責任主編」であり、「中央国術館創始人」(P.21)に挙げられている7人のうちの一人。残りの6人は張之江、李景林、王子平、高振東、馬英図、柳印虎。同じページに、「中央国術館発起人」としてあげられているのは李烈鈞、戴傳賢、蔡元培、于右任、紐永建、何応欽、張之江の7人。