中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

六榕寺の鉄禅和尚

前回のメモで広東精武会の成立の際、黄飛鴻と林世栄が演武をしたと書いたけど、『晩清民国時期的広東武術』には、この二人の名前が出ていないかわりに、「六榕寺僧人鉄禅」および「省城四郷各処の著名技撃家二十余名」が技を披露した、と出ていた。六榕寺は今年の3月に訪れていたので面白いと思って、鉄禅和尚について少し調べてみた。

鉄禅和尚の武術がどんなものかはわからないものの、若いころは劉永福の黒旗軍に参加して、ベトナムでフランスと戦った人物であることがわかった(ただし、書記官のような立場だったらしい)。帰国後は書画で生計を立てていたが妻と子供を相次いで病気で亡くしたことから精神的な打撃を受けたことが原因で出家したようだ。

辛亥革命前には孫文とも知り合い、六榕寺は孫文らの秘密会合の場所になったりもしている。

日本による広州占領時代、一時は番禺、仏山等に非難していたものの、現地の宗教界の大物として日本の仏教関係者が作った国際仏教協会の華南支部長に担ぎ出されたようで、来日して昭和天皇に謁見したりもしており、戦後は漢奸として獄中でなくなっている。詳しいことは、中国語のサイトでいろいろ調べられるほか、日本の個人の方のブログもあった。

上海に鉄禅門功夫搏撃会というのがあるようだけど、鉄禅和尚とは全く関係なさそう。

ちなみに、百度黒旗軍の項目には、関連人物として黄飛鴻の名前が出ている。かつて黒旗軍劉永福に招かれて「技撃教練」を務めたことがあるらしく、宝芝林の扁額は黒旗軍劉永福が書いたものであったという。1924年8月(以下のリンクでは10月)の商団事件で、宝芝林とともに焼けてしまったらしい。黄飛鴻はこのときのショックがもとで病気になり、12月に78歳で逝去したという。このあたりのことは日本語版のウィキペディアにも出ているので、黄飛鴻ファンにとっては基本的な事柄なのかもしれない。

百度黒旗軍の項から

黄飞鸿

黄飞鸿(1837年月9日--1924年12月),原名黄锡祥,字达云,原籍南海西樵禄舟村,清道光二十七年(1847年)七月初九生于佛山,他是岭南武术界的一代宗师,也是一位济世为怀、救死扶伤的名医。是当时南派武林中最年轻的武术教练。曾被刘永福聘为军中技击教练。
1924年8月,广州商团总长陈廉伯在英帝国主义支持下,乘孙中山北伐,在广州发动武装暴乱,纵火劫掠。黄飞鸿与其继室莫桂兰苦心经营数十年的宝芝林连同刘永福写给他的牌匾和他唯一的照片亦毁于战火。黄飞鸿经不起沉重打击,因而忧郁成疾,是年12月不治去世,终年78岁。