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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

張雪蓮『仏山精武体育会』

 精武体育会の仏山分会について紹介した本。著者の張雪蓮については、詳しいプロフィールがなく、よくわからない。
『嶺南文化知識書系』叢書の一冊という位置づけからなのか、仏山精武会に限らず、精武会組織の成立や発展における、広東省出身の人々の果たした役割に焦点が当てられている点が面白かった。

 たとえば、精武三公司といわれる設立時の三人の中心人物のうち、陳公哲、蘆煒昌の二人は広東人で、商売を営む家族が広東から上海に移住してきたらしい。
 また、上海精武会は設立後10年間の間に7回の初級修了試験(考核)、6回の中級修了試験、3回の高級修了試験を行なっているけれど、それぞれの修了者の人数のうち広東籍の学生の占める割合は以下のとおりになるという(P.18-19)。結構な比率だと思う。
 初級 138人のうち広東籍79人
 中級  26人のうち広東籍17人
  高級 14人のうち広東籍10人


 これらの広東籍の人々は、陳公哲が父親の仕事を引き継いで「粤瑞祥」五金店の経理兼上海留美予備学校の英語教師であったように、比較的裕福な家庭の子弟で、英語が使えたり、写真撮影ができたり詩を書いたりと多士多彩であり、経済界との繋がりのほかに、この会員の多士多彩ぶりが、精武会における舞踏、新劇、音楽、楽器、国画、書報、撮影などの活動に発揮されているように思われる。

 精武会の広東分会の設立(注1)は、直接的には、民国政府広恵鎮守使の李福林(広東人)からの教員派遣要請にこたえる形であったようだけれど、精武会が主として南方(東南アジアを含む)に組織を拡大していったことは、精武会の掲げる理念に現地に人々が共感し、誘致したというだけではなく、もともとこうした同郷による人的繋がりあったこともあるのだろう。

 精武会ではまた、武術と音楽、詩を結合する『精武舞踏』など、さまざまな新しい試みがされているけれど、広東の伝統音楽に歌詞と動作がつくという形で、ここでも広東の伝統音楽がベースになっていたらしい(注2)。

こうやって広東との繋がりで考えてみると、精武会のちょっと違った面が見えてきた気がする。

ところで、陳公哲らが豹柄の衣装に身を包んでいる写真はじめてみたときは、武術団体というイメージとのギャップがあってびっくりしたのだけれど、それと同じことをこの本に載っている『精武舞踏』の写真を見て感じた。精武会の活動は「技撃を根本とする(以技撃為根本)」(P.9)というけれど、彼らにとって、体育というのは、「愛国、修身、正義、助人」の精武精神を実現するための手段に過ぎず、当事者たちも自らのことを「一般の武館とはまったく性質の異なる文化・スポーツ・健康団体(与一般武館性質迴異的文体健康社団」(P.54)だと捉えていたようで、その活動は通常の武術団体の枠には収まらないものがあるようだ。この点、時間があればもっといろいろ調べてみたい。

「上海精武群英」二列目中央は精武「四大名師」の一人、趙連和 

「滑稽舞」は26種類の拳術から65式を撰んで構成 

「鳳舞」は女子用に20種類の拳術から20式を選んで構成

「蝶舞」は14種類の拳術から20式を選んで構成 

 
一つ残念だったのは、この本の中で「国操」(精武国操)にたびたび言及されるのだけれど、はたしてこれはどういうものだったのか、具体的な説明がなかった。ネットで検索しても、あまりそれらしいものに行き当たらない。いわゆる精武十套基本拳のことなのか、あるいはそれらを総合した、何か別のものなのか。このあたりも注意しておこう。

(注1)
設立大会には、広東省の武術家もはせ参じて演武を行なったようで、そのなかに仏山黄飛鴻と弟子の林世永の名前も見える。それぞれ快耙、双鈎刀の演武を行なったという(P.23)。
(注2)
1920年代の上海における広東の伝統音楽の流行については、こんな論文もヒットした。