中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

高島俊男『水滸伝の世界』

関羽 神になった「三国志」の英雄』を地元の図書館に借りにいったとき、たまたま目に留まったので、あわせて読んでみた。
この本の中で、水滸伝の好漢たちの活躍の舞台は、次第に太行山(河北)から梁山泊山東)に移ってきているという指摘が面白かった。どうやら水滸伝が小説としてまとめられてゆくなかで、太行山系説話と梁山泊系の説話が合体し、次第に梁山泊ということに落ち着いたみたいだけれど、成立の過程では、「太行山梁山泊」などという、両者がごっちゃになった地名の表記もでてくるらしい。(水滸伝の成立に関しては、ウィキペディア水滸伝成立史の項にもうまく纏められている。)

三国志関羽も、殺傷事件を起こしてから、故郷である解県(山西)から逃亡し、涿郡(河北)で劉備張飛と意気投合するまでに、太行山を経由していることになる。(『関羽 神になった「三国志」の英雄』では、そのルートは、解県の塩(解塩)を扱う商人の流通経路ではないかと書いてあった。)水滸伝とは大きく時代は異なるけれど、もしかしたら、関羽が太行山で山賊の一人になっていた可能性だってあったのかもしれない。

山賊が多いから、当然、貨物の輸送を請け負う護衛の商売も生まれる。
太行山とその周辺という観点から、武術史を眺めなおしてみると新しい気づきがあるかもしれない。

そんなことを思いながら陳国鎖『通背纏拳』を読んでいたら、洪洞通背拳(通背纏拳)の起源について、おもしろいことが書いてあった。よく知られているとおり、陳家溝の人々は山西省洪洞県からの移民であると自ら言い伝えていることから、洪洞通背拳と陳式太極拳の関係も、前者が後者のルーツであると思っていたのだけれど、筆者によると、洪洞通背拳は、清の乾隆年間に河南の人・郭永福によって洪洞県に伝えられたものだという。洪洞大槐樹からの移民は明代のことだから、この説に随えば、洪洞通背拳がこの地に伝えられたのは、移民の時代よりも後なので、陳家溝の武術のルーツを洪洞県に求める考え方はなりたたなくなる。さらに面白いのは、筆者によると郭永福というのは、刃傷沙汰を起こしてこの地に流れてきた陳家溝の陳有孚(第14世で 陳長興、有本、有恒と同輩)の偽名であるという。陳家溝の武術と洪洞県の武術の関係はもう少し詳しく調べてみないとなんともいえないけれど、刃傷沙汰を起こして外地に潜伏するという展開が関羽と似ていて面白かったので(この場合も太行山を目指して逃げたのか?)、とりあえずメモ。

この本で、もう一つ面白いと思ったことは、中華人民共和国になって、水滸伝の作者(というより編集者)の一人といわれる施耐庵に関する墓誌や古文書が続々と発見されたということで、作者によれば「もちろんこれらはすべてでっちあげのにせもの」で、「ひとかどの研究者で信用する人はいない」(ともにP.195)のだけれど、二十世紀になって、いままで謎であった施耐庵に関する資料が急に出てきたことには理由があるらしい。面白いので引用しておきたい。

 いったい、何百年ものあいだ影も形もなかった施耐庵に関する資料が二十世紀後半にいたって急に大量に出てきたにはわけがある。
 共産党が天下をとると、歴史上の盗賊はすべて「農民起義」(「起義」は「正義の決起」の意)と名称を変更して、支配階級の圧制に対する人民の反抗であるということになった。これは毛沢東が一九三九年に発表した「中国革命と中国共産党」という演説にもとづくものであって、そこには黄巣や李自成と並んで「宋江」も「農民起義」の一つに列せられている。したがって水滸伝は農民起義を描いた偉大な文学作品ということになり、その作者である施耐庵は、偉大な革命思想家、革命作家、してみれば必ずや革命実践家、ということになった。
 しかるにかくも偉大な革命家が、どこの誰やら影も形もないというのはいかにもさびしい。
 ところがここにつごうのいいものが一つ見つかった。
 通俗小説に対する社会的興趣が高まってきたころにあたる一九二八年、上海の『新聞報』という新聞の「快活林」というコラムに胡瑞亭という人が書いた「施耐庵世籍考」という文章である。この文章に書いてあることは全部デタラメなのであるが、とにかくそこに、施耐庵は元末のころに蘇北白駒鎮に住んでいて、張士誠が仲間入りをすすめに来たことがわかった、と書いてある。張士誠は元末の叛乱の大将であり、つまり農民起義である。せっかく農民起義に参加をすすめられながらことわったのは残念だが、大将みずからわざわざ勧誘に来たほどだから、察するに平生よりさだめし革命思想の篤かった人に相違ない。これこれ、というわけで、偉大な革命家施耐庵は白駒鎮施家橋の人にされてしまった。 胡農民起義への参加をことわった件については、家庭の事情で参加は断念したものの心からの支持をよせ、槍のかわりに筆をとって農民起義の賛歌水滸伝をあらわして農民たちをはげましたのである、ということにした。これにあわせて資料が続々と出てきたのだが、章培恒教授のような本職にかかるとたちまち看破されてしまう。革命家施耐庵先生を信じる人たちは看破されてもカエルのつらにションベンで、あいかわらず、施耐庵水滸伝を書いて革命を支援した、と吹聴する。(略)資料だけではなく、施耐庵についての「民間の言いつたえ」もたくさん作られた。言いつたえなどというものは急に大量生産するものとは思えないが、現に作られたのであった、そういう言いつたえを集めた本が何種類も出ている。(P.198-199)

農民起義ということでは、『太極拳史』のなかで于志鈞は、歴史上、陳家溝は李自成の農民起義軍、太平天国の北伐軍、捻軍を鎮圧した武装した地主の根拠地であり、陳王廷、陳仲甡、陳耕雲、陳苕、陳垚、陳鑫らは、いずれも両手を農民起義軍の鮮血に浸した武装地主の領袖である(P.296)、などと口を極めて罵っている。あまり現在の観点で過去を断罪するのはいかがなものかとは思うけれど、太極拳の成立に関する、さまざまな立場の間の対立の根深さを物語っているような気がして興味深かった(注)。

水滸伝の映像作品は当然のことながらいろいろあるけど、はじめてみたのは山東省武術チーム総出演、馬成(エディ・マ)監督の『水滸伝(原題『浪子燕青』)』だったと思う。丹波哲郎黒沢年雄が死闘をくりひろげるチャン・チェ監督の『水滸伝』も異色で面白かった。

水滸伝の世界 (ちくま文庫)

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エディ・マ監督の『水滸伝

(注)于志鈞は唐豪、顧留馨の説を真っ向から否定する立場。他方、『通背纏拳』の陳国鎖は、陳王廷創始説を支持している。陳国鎖は、事実上『通背纏拳』の続編ともいえる、『陳王廷纏拳与戚継光拳法』という本を出している(ただし編著)ようなので、彼の説については、こちらも入手したうえで改めて検討してみたい。