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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

岡本隆司『中国近代史』

筆者は、伝統的な中国における王朝と人民の関係、官僚制度の在り方について、以下のように述べる(以下、数か所を引用)。

財政のありようから見てとれるのは、中国では歴史的に、政府権力が必ずしも民間社会のすべてを掌握しておらず、必然的に権力のかかわる社会とそうでない社会とに分かれてしまう、ということである。(P.65-66)

 われわれは普通に「国民」という。それは「国」と「民」が一体化したnationの謂であり、その翻訳語である。欧米や日本の近代国家はそれが基本構造をなしているのに対し、中国は歴史的に「国」と「民」が一体にならなかった。(略)「国民国家」といい、国家と国民が曲がりなりにも一つの共同体をなすのが、日本・欧米だとすれば、少なくとも史上の中国は、両者一体とならない二元的・重層的な社会構成であった。それは、日本や欧米と較べて、権力エリートと一般人民のはるかに遠く、隔たっていたということを意味する。(P.66-67)

…以下は、三十年以上の中国勤務の経験をもつアメリカ人モース(H.B.Morse)が、二〇世紀の初めに記した評言である。

中国の官僚は当節、行政官(administrator)ではなく、徴税官(tax-collector)というべきである。もっともその税収は、西洋では公財政が負担する警察・裁判・道路・教育・消防・衛生などの費目に、ほとんど使われることがない。われわれの見聞の狭い西洋のみかたでみるかぎり、中国の官僚は、自己の保存、および自分の同僚・上司・部下の生存のためだけに存在しているといえる。(P.79-80)

こうした状況で、まったく頼りにならない行政機能を担うために、農村では宗族、都市においては同郷集団や同業集団が形成される。歴史的に「社」、「会」、「幇」などさまざまに言い表されてきたもので、筆者はこれらを総称して(権力エリートである「士」と一般庶民「庶」の間に位置するということで)「中間団体」と呼ぶ。中間団体が、密輸などに携わり非合法化すれば「秘密結社」になり、政府によっては認められない宗教信仰によって結束していれば「邪教集団」と呼ばれるが、それはあくまで王朝側から見た言い方である。

清代以降、海外からの銀の流入と人口増加によって、これらの中間団体の数が一気に増え、地方を横断して活躍する中間集団が現れてくる。

そういう視点から眺めてみると、武術流派のあるものは、ある中間団体において軍事的な機能を担っていたのではないかという気もするし、「流派」によっては、それ自体が一種の中間団体としての機能を果たしているような例もみられるように思う。

そして、いまだに、国家が推奨する「官方武術」と「民間武術」という言い方があり、政府の武術行政は前者の普及・推進にのみ熱心であり、後者の保護については、等閑にされているという声がきこえてくることも、なんとなく腑に落ちた気がする。

いろいろ示唆に富む観点が得られた。

近代中国史 (ちくま新書)

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