中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

小倉孝誠『“女らしさ”の文化史―性・モード・風俗』

地元の図書館にあったのを読んでみた。

プロローグに、「身体の文化史を綴るにあたって、私は本書で、人類の半分を占める女性の身体(とりわけフランス女性の身体)について語ろうと思う」とあり、この本は筆者の、身体の文化史に関する論考の一部(半分?)を成すもののよう。その意味では『身体の文化史―病・官能・感覚』という本が残り半分ということになるのかもしれないけど、そっちの方は未見。

序章では、イギリスの歴史家ロイ・ポーターを参考に「身体史において注目すべき七つの流れ」を挙げる。これは今後の参考になるかもしれない。

(一)人間の条件としての身体 -- 誕生、病、老い、死など、人間の生にとって避けがたい経験が、時代によってどのように意味づけられてきたか。
(二)身体の形態 -- 身体は、ひとつの視覚化されたかたちとして現れる。そのようなかたち(肖像画、自画像、彫像、写真など)は歴史的な分析に値する。
(三)身体の解剖学 -- 特定の文化や個人が、自分たちの手足や器官、体格や肉体についてどのような意味づけを行ってきたかを探る。
(四)身体・精神・魂 -- 身体と精神の領域は、けっして固定されたものではなく、両者の境界線は、一定の時代や社会が共有する価値体系と認識システムにしたがって変動していく。自己とは、精神化された身体と身体化された精神がときとして抗争するひとつの統合体にほかならない。
(五)性とジェンダー -- フェミニストたちの努力により、かなりの成果をあげてきた研究分野。ただし、「男らしさ」、「男性性」の歴史はまだ不当に軽視されている。
(六)身体と国家(Body Politic) -- 国家が個人の身体を所有し統制してきた状況やその正当化の論理についての研究。
(七)身体、文明、およびそれへの不満 -- 衣服、食事、化粧品、清潔、タブー、禁制、欲望の規制などが、個人と社会を文明化する上でどのような役割を果たしてきたか。

このブログの観点から面白いと思ったのは、「家庭」という私的領域に閉じ込められ、結核や貧血、萎黄病などの危険にさらされていた女性たちに適度な四肢の訓練が必要と説かれるようになったのは十九世紀後半という指摘。

上流階級の男性にたいしては、すでに十九世紀前半から、乗馬、狩猟、フェンシングなどが身体鍛錬の手段として勧められていたが、女性にとっての身体訓練の手段としてスポーツが奨励されるようになるのは、十九世紀末期になってからである。
ふだんは深窓の令嬢として閉じこもりがちの生活を強いられ、結核、貧血、萎黄病などの危険にさらされていた女性たちを前にして、それは身体を健全にするための医学的、衛生学的な配慮に基づく方針であった。


女性に対する礼儀作法書を著したスタッフ夫人やドルヴァ夫人は、具体的には「関節をやわらかくし、調子よくあるくようになる」ことができるダンスと体操を勧めたらしい。(ほかにも、「器用さと気品をもたらす」テニスやポロ、アーチェリー、「姿勢をよくする」乗馬などが勧められている。)

以上は、19世紀後半のフランスについての指摘だけれど、中国における女子体育の導入や早期の女子武術家については、あまり注意を払ってこなかった気がする。
上海精武体操学校が設立されたのが1909年。1920年代には、セランゴールやクアラルンプールで精武女子体育学校が設立されている。
『精武会50年』の女子体育に関する記述や、個人の伝記としては、劉玉華や、傅淑雲について調べてみると面白いかもしれない。劉玉華については、雑誌記事があったと思うので時間があったら読み直そう。

World chinwoo.com上海精武体育総会のHP

“女らしさ”の文化史―性・モード・風俗 (中公文庫)

“女らしさ”の文化史―性・モード・風俗 (中公文庫)


本筋から離れるけれど、フランスにおける女性に対する美の基準の変遷をざっくりと述べたところも面白かった。
145ページから154ページあたりを大ざっぱに要約すると以下のとおり。

中世
 キリスト教による肉体の否定。 「重要なのは魂の救済であり、肉体とそれがはらむ欲望や誘惑は救済の邪魔をすることはあっても、それを促すことはない」。

ルネサンス
 再び人間の身体の美しさ、とりわけ女性の美しさが称えられ始める。
 当時のヨーロッパ人が好んだのは「豊満な女性の身体」。その理由は「経済的、社会的に見れば、丸みを帯びた豊かな身体は富と閑暇を象徴する印であり、そのかぎりにおいて、優越性を示すものだったからである」。

十六世紀から十八世紀にかけての王政時代 
 次第に「全般にいって軽やかさや、優雅さや、気品をそなえた女性たち」が好んで描かれるようになってくる。「高貴で、どこかしら威圧的な美しさよりも、陽気で、みずみずしい美しさが好まれるようになった」。

十九世紀前半のロマン主義時代
 「健康的でみずみずしい女性ではなく、青白い、どこかしら病的な女性が評価された」。
 女たちは痩せるために酢を飲み、レモンを食べ、夜っぴいて本を読んではわざわざ目に隈をつくろうと試み、結核患者のような顔立ちになろうとして、オレンジ色がかった黄色い白粉でメイクアップまでしたという。こうして、肉体的なものや物質的なものを離れ、純粋で精神的なものを追求しようとする「天使的傾向 angelisme」と言われる流れが、女性をめぐるロマン主義的な感性を支配することになった。

十九世紀半ば以降
 ブルジョア的な女性美モデル 「けっして過度に化粧したり、あからさまに人目をひくような衣装をまとったりしないが、・・・政治的な権力を握ったブルジョワジーの自信と矜持を示すよう要請されていた」。
 絵画としては、しばしば子供を伴って描かれ、母親であることが示される。女性の美しさは、夫が社会的に成功したことの反映であり、子孫を生み、家系の存続をたしかなものにした者に与えられる褒賞と考えられた。