中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

小島毅『近代日本の陽明学』

近代日本において陽明学は、一方で学術的な研究対象として扱われつつ、他方では政治家や志士たちの行動を支える実践的な学問として捉えられていた。

後者の系列において、自らの良心(良知)に基づく行動(実践躬行)を正当化する行動原理としての陽明学は、形式的な儀礼を重視する朱子学のような体制側の学問とは異なる「人間の学問」とされ、その意味において、キリスト教やドイツ哲学、マルクス主義にもつながり、それを先取りする知的伝統であると評価された。

そのような行動原理としての陽明学的心情の持ち主は、幕末から昭和初期にかけて、右翼的な愛国人士から左翼運動家まで幅広く存在した(「白の陽明学と赤の陽明学」)が、自らの良心に従って行動することをよしとする陽明学は、ややもすると体制批判や改革支持、ひいては革命の主張にもつながるため、危険思想と見なされることもあったという。

もちろん、そのように解釈された陽明学は、朱子学との関係の中で生まれたもともとの陽明学というよりは、近代日本において換骨奪胎された陽明学であって、筆者の言い方を借りれば、「彼らにとっての陽明学」でしかないが、それは陽明学が本来はらむ、特定の経典を持たず、行動を重視するという特質に由来する展開でもある。

中国において、陽明学がこのような形で革命家たちの行動原理として機能しえなかった(ように見える)のは、梁啓超の「中国の武士道」を見るとわかるように、彼らは自らの武士道的行動原理の原型を、王陽明以前に遡り、春秋戦国時代、秦による統一以前の志士たちに求めたためかもしれない。このような志士たちの活動は、統一国家の成立と皇帝権力の伸長により、以後は廃れてしまった、と説明される。(宮崎市定『中国政治論集』に紹介されている「中国の武士道」自序の抄訳と解説による。「中国の武士道」は未見。)

ただ、この点との関連で、当時「王陽明の学に近く、躬行実践・経世治用を主とし、堅忍刻苦を説いた」(日本版ウィキペディア)顔元の思想が再評価され、ついには彼の思想を背景に掲げる武術流派が誕生してくるのも偶然ではないと思う。

やがてそうした思想は、最終的には顔元のような特定の思想家を旗印にするのではなく、西洋の騎士道、日本の武士道に対する、「国術魂」という形になっていったような気がするけれど、あまり史料がないので正確なことはなんともいえない。

唐豪は『少林拳術秘訣考証』で、彼が日本留学中に目にした、武士道に関する著作を列挙して、それらの著作との関係から『少林拳術秘訣』およびその前身ともいうべき『少林宗法』の成立時期を論じている。この点については別の機会に整理しておきたい。

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