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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

劉正「意拳史上重大疑難史事考」

人民大学古籍研究所の劉正教授が雑誌『武魂』に連載したという、意拳に関する文章。(掲載時期は未確認。)劉教授は意拳の関係者でもあるらしい。百度のプロフィールでは関西大学修士大阪市立大学で博士、京都大学でポストドクターと研究員、愛知学院大学で客員研究員とある。

意拳については全く門外漢だけれど、この文章は1940年代前後の北京の武術事情を紹介したものとしても興味深い。ただ、当時の武術界で、いったい誰が本当の漢奸(売国奴)であったのか、「漢奸拳」は何であったのか、など、門外漢として踏み込んでゆくには若干生々しいところもあり、軽々しいコメントは控えておきたい。全文も、リンク先を記すに留めておく。

戦前・戦中の日中武術交流という点から、『通背拳法』で有名な武田熙氏にも言及しているところには注目したい。
同氏についても、情報が不足しており、軽率なことはいえないけれど「中国人も認めた実力者」、という評価だけではすませられないところがあるように思う。たとえば1940年の5月18日から20日に行われ、18人の武術家(名簿は文中にある)が参加したという東亜武道大会について、興亜院華北地区文化調査官の武田熙が審査、決定した。彼自身通背拳の大総管(別のところでは顧問と書いてある)として、3名の通背拳選手を選んでいることは理解できる、といった趣旨のことが書いてある。どのような資料を参照したのか、具体的に書いていないので、現状では調べようがない。(が、上記のプロフィールからも明らかなとおり、日本側の文献も相当調べられているに違いない。)

武田氏を負かせた人物として、三皇炮捶の李堯臣については、最近伝記小説も出版されたようだけれど、中身は未見。中国版アマゾンのコメントでは「小学生の作文と同じ」「逝去的武林を見習うべき」とかなり厳しい評価がされているけれど、文学的なことはともかく、この本にはちょっと興味がある。

三皇炮捶といえば、表演大会が、最近、冀州で開かれたらしい。宋邁倫はここに原籍があるという。