中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

松本清張『密教の水源をみる 空海・中国・インド』

以前に読んだ仏教の中国伝播についての本で、多くの僧侶がインドを訪れたり、インドや西域から高僧を招いて経典の翻訳を行われたけれど、いったん経典の翻訳が終わると、翻訳された経典が権威となって、原典との対照研究などはあまり行われず、その結果、原典の多くは保存されず、翻訳者の育成も行われなかった、と書いてあった。この点は、仏教に限らず漢籍を、できるだけ原文に忠実に理解しようとした日本人のやり方とは異なるところがあるようだ。

中国で、翻訳された経典の原典が保存されなかった理由はいろいろ考えられると思うけれど、松本清張密教の水源をみる 空海・中国・インド』を読んで、その理由の一端は、意図的な「誤訳」が行われているせいかもしれない、と思った。

仏教が後漢ごろにインドから中国に入ったときも、中国ではこれを道教として扱った。当時のインドはすでに大乗仏教だったから、これを中国へ伝えたインド僧の支婁迦讖(しるかせん ロカクセマ『般若経』の漢訳者)にしても、同じくインド僧の鳩魔羅什(クマラジュヴァ。『法華経』『維摩経』の漢訳者)にしても、はじめは中国人の好みに合わせて仏教を道教のごとくにみせかけたであろう。そのへんは小乗のやかましい規制とは違って、大乗の広汎性から「応用」ができたにちがいない。つまり後漢ごろに中国に入った仏教も道教的な現世利益の色彩だったのである。
 この現世利益を「国家」に拡大すると、国家の長期安泰、すなわち国家鎮護となる。したがって、後漢から三国時代五胡十六国南北朝、隋、唐にいたるまで仏教は国家鎮護の宗教として歴代の君主に保護された。またそうでなければインドの呪術的な宗教が律令体制を完成してゆく中国へうけ入れられるわけはないのである。
 さらに仏教には一視同仁的な民族平等の思想がある。これが多くの異民族を抱える中国の君主にとっては統治手段として役立ったのである。
 この事情は密教玄宗の唐代に入ったときも変らぬ。密教道教としてうけとられた。だから玄宗の前で方士羅公遠と金剛智三蔵の方術くらべとはなったのである。
 ところが、「インド密教」を、いつまでも道教にみせかけるわけにはゆかない。そこで経典を漢訳するにあたって不空はこれを律令体制の中国の国情に合うように変えてしまった。原典の一部を勝手に訳者が変えてしまったのである。
 これは不空が意図的に行った「誤訳」であると松永有慶氏が云っているのは面白い。
 「不空三蔵というのは、行動力のすぐれた大人物であると同時に、意図的な誤訳家であることがわかったのです。インドという国はぜんぜん国家がないのですから、いまの王様をやっつけて、王位を奪い取るような護摩の炊き方を書いた経典があるのです。それを漢訳するときに、この護摩を焚くとどれだけ国家が隆盛するかというふうに、内容を一八〇度変えて訳してあるわけです。二十世紀になってサンスクリットと自分の翻訳と合わせて読まれるとは(注・松永自身をさす)、不空三蔵も気がつかなかったことでしょう」(「密教の源流」『朝日カルチャーブック笥 密教の世界』所収)
松本清張密教の水源をみる 空海・中国・インド』P.192-193

ところで、山岡荘八の『徳川家康』は中国で結構人気があるらしく、駐在中、重慶の新華書店でも平積みで売られていた。日本人としての感想を読書会で発表してほしいと頼まれたこともあった。(未読のため、お断りした。)そのせいか、同じ著者の『太平洋戦争』も翻訳されていたのだけれど、帰国して、『太平洋戦争』を読んでみると、冒頭まもなくの部分で、盧溝橋事件劉少奇が「北京の清華大学の学生と青年党員とを使い、宋哲元麾下の二十九軍の下士官兵を煽動して発砲させたことが劉の報告によってわかった」と書かれている。この説に同意するかどうかは別問題として、小説として、この部分は果たして原典どおりに翻訳されているのかなあ。