中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

田中健夫『倭寇 海の歴史』

講談社学術文庫の新刊として出版されたので読んでみた。
中国武術史でおなじみの兪大猷、戚継光といった「抗倭名将」の名前は最後の部分に少しだけ出てくる。

彼らが相手にしたのは16世紀の倭寇であり、14〜15世紀の倭寇とは同じ名前で呼ばれていても、「発生の理由も、構成員も、行動の地域も、性格もまったく相違していたのであって、書かれた「倭寇」という文字だけが同じだったにすぎない」(P.23)らしい。その出自・構成は『明史』などから、当時の中国人も、日本人はせいぜい3割で残りは中国人と認識していたことがわかる。

出自・構成はともかくとして、倭寇は村で成人男子を捕まえると、武器を与えて武芸を仕込み、先頭を切って戦わせたのだという。倭寇刀法はそうやって広がっていったのかもしれない。
中国の官憲は、倭寇の残虐さと自分の業績をともに誇張する傾向があり、彼らにとってはこれらの先頭にたって戦うものたちの首だって、もってゆけば倭寇討伐の「成果」にされてしまうので、倭寇の片棒を担ぐことになってしまった捕虜たちも死に物狂いになって抵抗したらしい。

ところで倭寇の船はバハン船と呼ばれていたらしい。
バハンという言葉については、倭寇の船が八幡大菩薩の旗を掲げており、この「八幡」をバハンと読んだという説や、中国語、ポルトガル語に由来するという説がある。この点については笠尾恭二さんの大著「中国武術史大観」にも触れれられている。笠尾先生の本は「バファン」となっていて、こちらのほうが現代中国語のBafanの発音には近い。

面白いと思ったのは、「八幡」は中国の資料ではいろいろな表記があり、その一つに「八番」があるというところ(具体的な出典は不明)。八幡が八番まで来ると、八番が八翻になっても何も不思議はない。
明代の文献に現れる八閃翻から、今に伝わる岳氏連拳(八翻手)、翻子拳の萃八翻、八翻手と、一至八翻など、「八幡」となんらかの繋がり(直接的でないにしても、連想としての)があるのかないのか、ちょっと興味深いところではある。おそらく、直接の繋がりはないんだろうけど、なんらかのイメージ・連想が働いている可能性はある。そう考えたほうが面白いという「感想」をこめて。

この本を読んでもうひとつ印象に残ったのは、倭寇を通して、『魏志倭人伝』以降ほとんど改変されることがなかった中国人の日本人観が、明代に一変したという指摘。倭寇を通して作られた、村を襲って略奪し、女を犯し、人々を殺し、放火する倭というイメージはいまも変わっていないのかもしれない。「相互理解」というのは簡単だけど、道は険しい。

倭寇―海の歴史 (講談社学術文庫)

倭寇―海の歴史 (講談社学術文庫)

2012年2月3日追記
「全球功夫網」に、張克倹の番子拳という文章が掲載されているのに気づく。
この文章で、徐震の『国技論略』を引用して八閃翻の古名を八番拳という、と出ている。(注)『国技論略』にもあたってみたけれど、詳細な説明はなく、何に基づく判断なのかは不明。

(注)
引用箇所の原文は「八番、即明代八闪番之旧称而加简文,番子则后起之名也」
山西科学技術出版社版でみると、「八番即明代八闪番之旧称而加简,番子则后起之名也」で、字体の違いを無視すると、句点、「文」という文字が入っているところが若干異なる。最後の加簡(文)ということばの意味はよくわからない。