中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

四川省武術協会編著『峨眉武術史略』

気になっていた掲題の本が出版されていたことを知り、ネットで取り寄せて読んでみた。

 

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内容は、以下のとおり(日本語に仮訳)

 第一章 峨眉武術の起源と萌芽

 第二章 峨眉武術の形成と成熟

 第三章 峨眉武術の発展と繁栄

 第四章 峨眉武術の全面発展と高度昌盛

 第五章 峨眉武術の技法の特徴と文化的要素

 第六章 峨眉武術故事

 第七章 近代以降の代表的人物

  附録1 練功器材紹介

  附録2 峨眉武術発展大事記

各章ともコンパクトにバランスよくまとめられていた。

特に、第七章で紹介されている90人あまりの近現代の人物は、ネット上にあまり情報のでていない人たちも含まれていて、とても参考になった。たとえば、中華人民共和国の建国当初、バレエの要素を競技武術に取り入れて、温敬銘と論争した綿拳の蘭素貞は、あまり情報がなかったけれど、成都体育学院にいたことがわかった。

 

その他、この本を読んで感じたことを備忘録として。

 

1.少林、武當と並ぶブランドづくり

  全編を通じて、四川省武術協会が四川省の武術を「峨眉武術」として、「少林」、「武當」と並ぶ三大ブランドの一つとして宣伝してゆこうと強く意気込んでいることが伺えた。それは単に、武術としてのブランドの確立ということだけでなく、武術を通じた観光誘致などの経済効果まで意図したもので、特に第三章ではそうした観点が明確に述べられていた。これって、もしかすると武術の書籍としては珍しいのかもしれないという気もした。

 

2.「峨眉武術」の内実

 では、その「峨眉武術」の内実とはどのようなものか、といったときに、実は四川省の固有の武術は意外に少ないということも、この本を読んで改めて気づかされた。

 1980年代に行なわれた発掘整理では四川省(現在は中央直轄市になっている重慶を含む)の流派は67種類が確認されたものの、これらの流派の大半は四川省以外から伝わってきたもので、明確に四川省で生まれたといえるものは10%にも満たないらしい(P.62の表2-9)。

 このこと自体は、孫徳朝、趙明、康意「 峨眉武术研究三十年」で紹介されていた、古代の峨眉武術は明代に成立したが清初には失伝し、いまに伝わる峨眉武術は各種の武術が混じりあって形成されたとする説とも一致するので特に驚くわけではないけれど、だとしたら、四川省における道教や仏教の伝統と現在の峨眉武術は、実はそれほど深い関係はないのではないか、関係があるとしても後からのこじつけではないのか、という気もしてくる。

  また、(複数の著者がかかわっているようなので仕方がないのかもしれないけれど)文章によって、四川省固有の武術のことを峨眉(派)武術と言っているのか、外来拳種や、四川省武術隊の選手がやっていた競技武術まで含めて「峨眉武術」と呼んでいるような箇所もあり、「峨眉武術」の定義はいまひとつ曖昧である気がした。

 

 〇『四川武術大全』記載の67拳種についてまとめた図(P.62)

 この本では、80年代の調査では発祥地が「不詳」とされた16拳種も検討の結果、外来拳種と断定している。

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〇【参考】 『巴蜀武術』(後述)から、『四川武術大全』記載の拳種を成立時期よって分類した表 (合計すると60にしかならず、『峨眉武術史略』で67としているの数があわない理由は不明)

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3.「外来拳種」

 上に書いたように、四川省の武術を本土拳種、四川省以外から来た武術を「外来拳種」と呼ぶ観点は、最近いろいろな本で見かけるようになった気がする。たとえば、申国卿『河北武術文化』にもそのような観点があり、河北派形意拳は河北省の武術だが、形意拳そのものについて言えば、河北省にとっては外来拳種にあたるということが、河北派形意拳の立場に配慮しながら慎重に(怒らせないように?)書かれていたことを思い出す。

 

 外来拳種の中でも面白いと思ったのは趙門。

 この本の紹介によると、峨眉派の趙門は直隷派と三原派に分かれるのだけれど、三原派というのは、その派の代表人物である高氏が陝西省の三原の出身であることによるものだという。 

 三原の高氏といえは、以前にメモした「鷂子高三」こと高占魁のことだと思われ、なんのことはない、陝西省で紅拳と呼ばれているものが趙門と名を変えているようだ。趙門と言う名前は、創始者として宋の太祖・趙匡胤を掲げていることによるもの。

 趙門と三原高氏と趙匡胤の関係は、楊式太極拳における陳家溝と張三豊の関係にも似ているように思える点も興味深い。

 

www.xiaobaiban.net

 

www.youtube.com

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

  外来拳種の流入は、人の動きと関係があるけれど、明清以降ということでは、

大きく(1)「湖広填四川」といわれた、戦乱による四川省の人口激減と、湖南・湖北・広東からの移民、(2)義和団事件の弾圧後、北方拳士の多くが各地に逃れたこと

が挙げられるらしい。

(2)に関しては、軍閥時代の農村自衛運動である紅槍会・硬肚会運動の中で、山東や河北を追われた武術家が多く雇われているけれど、さらに四川省まで足を伸ばした人たちがいるようで、代表的な人物には海灯法師の師匠である朱智涵がいる。この辺は面白そうなので、改めて自分でも調べてみたい。

 

〇海灯法師と朱智涵真人

画像に含まれている可能性があるもの:2人、帽子、サングラス

出典:巴蜀真人:朱智涵_福济天下_新浪博客

 

baike.baidu.com

 

なお、この本では敢えてそういう形では取り上げられていないけれど、首都移転にともなって中央国術館やその関係者が重慶に来たことは、外来拳種の四川到来の第三の波と捉えてよいのかもしれない。

このとき、土着拳種の人たちと少なからず軋轢があったことも伺える。

たとえば、藍伯熙などは、(中央国術館の時代よりは少し前だけれど)杜心五や朱国福らの活動に異議を唱えたらしい。

杜心五との対立については雑誌記事が、朱国福との対立については、朱国福が、文句があるのなら受けて立つので、公証人を立てて条件を話し合おう、と新聞紙上に出した公開書簡があるらしい。現物は未確認だけれど、その内容は以下のとおり。

 外部から著名な武術家を大勢呼びよせた湖南省でも地元武術家との間で軋轢があったようで、そのあたりは別の機会に調べてみたい。

 

〇杜心五と藍伯熙が互いに功法を披露したエピソードを記した《峨眉真功夫》17页(我国第一本峨眉武术丛书)1985年出版 を転載した峨眉武術在線の記事

www.emwsw.com

 

〇朱国福の公開書簡

 朱国福紧要启事

 

经启者国福:自侧身国术界,即抱定破除门户、打消派别之宗旨,无分南北,无分东西。任何省、市,凡属国术界同道之人,无不视为同道兄弟,观若手足。更本中央提倡国术救国宏旨与儒素日所抱之志愿,竭尽棉力以求国术之发皇,是以足迹所历,无论当地高手宿师及远方作客之硕彦,均肯错爱与国福为友。今就渝市之诸先进言之,如李老师国超、余老师鼎山、张老师腾蛟、田老师得胜等数十位(名难枚举),成系当地国术泰斗,德隆望重,艺术高绝亦均不以国福愚鲁见弃,并能以国家民族为前提,以提倡国术阁志,推心置腹,开诚布公,肝胆相照,真不失为老前辈之称也。

岂意蓝伯熙同志独不我所容,听信小人挑泼,逞凶于大会,难在李司令命令压迫之下,观众批评之余,乃不顾一切尚敢咄咄逼人。国福当谦让之意,一是遵从李司令官命,二是接受群众批评,三是怀遵委座精诚团结之训示,四是本人所抱之志愿,不得不一让再让,以其觉悟,仍言归好,免受有识之士抨击。当兹国术提倡之际,又身为国术提倡之人,如持匹夫之勇而逞一朝之忿,不仅于国术前途有关,并且于国家不利,我等即同为中国人,自应互相亲爱,愎为同道之友,自当精诚团结。况外辱频来,救国尚恐不及,岂能同室操戈,自相水火。即非凉血动物,岂能出此下策。此属个人谦让之意。想当时之经过,凡明眼有识之人均能洞见,岂料昨日一幕方毕,今日空气正浓,有请蓝伯熙仍寻国福比武者,有谓蓝伯熙但言,限北方国术界人在一月内出境者,似以变本加厉,得寸思尺,实属令人难堪。

国福实不知蓝伯熙有多大本领,竟敢大言放肆。国福虽技薄能鲜,在此忍无可忍之际,决定牺牲一切,极端赞成与之一较。窍国福数十年未逢对手,今承蓝某不弃亦幸事也。但双方须到委座行营、市政府警察局、各军政机关备案后,由律师证明,签字画押,打死打伤无怨言。请蓝伯熙同志见报后或驾临敝舍当面等复,愈速愈妙。特登报代邮,静候玉音。  

       

                              此  启

 ※上記は、陳正徳、張林の二人が1992年に重慶図書館で抄録したものという。

出典は以下

www.emws.com.cn

 

〇藍伯熙の双鈎

出典

[https://www.facebook.com/photo/?fbid=510548004446881&set=a.458936019608080&__cft__[0]=AZUvy4RlfjDHtwOFitxXdJJIsXwR08--n4yxNou53d0SEPUI9V_4wDP7FRc7hnG3FWJrGvbgeLxeUQJMG1YzHvXp_vwVZLgMZTnryaB3AFXjDqNtPDEBD71H1OSU14OkSTcoJ7z8NgK385e5KAZNEAl0kIPwVfmiITGVy8-jYPUrUkmGCkTlVYvGF9uLgB0Lqjw&__tn__=EH-R:embed:cite]

 

4.その他

手元にある四川省の武術の関連書籍としては温佐恵・陳振勇『巴蜀武術』、重慶の武術についてまとめた趙幼生主編『巴渝武術』など。

 

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 『巴渝武術』では、「三原門」は趙門とは別の流派として、高占魁に由来する武術の紹介がされている(P.69-70)。

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 四川武術大全は、ネットで拾った、あまり質のよくないスキャンデータだけ部分的にもっているけれど、あまりにもページ数もありすぎて目を通していない

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