中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

程馨,程大力『近百年少林武術研究述論』

国家体育総局体育科学研究所のサイトで見つけた論文。

国家体育总局体育科学研究所-近百年少林武术研究述论

 

郭希汾の「中国体育史」や徐震、唐豪以来の中国国内における少林武術についての研究を

1.少林武術の起源

2.少林武術の誕生とその存在の歴史・文化的背景

3.対倭寇戦と少林僧兵

4.南少林、北少林問題

5.易筋経の成立時期

6.易筋経以外の少林武術関連古典についての研究

の各点(項目名は自分の理解のために適宜改変した)からレビューした、とても参考になる論文で、どの部分もとても興味深かった。

 

郭希汾の「中国体育史」(1919) 

郭氏26歳のときの著作とのこと

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第一著者の程馨のことは知らないけれど、程大力については、以前に著書『中国武術 歴史与文化』を読んだことがあるのと、『中国武術百科全書』の武術史部分を担当されていることで名前は覚えていた。
近年、競技武術は極左思想の産物であり、その発展は行き詰まっていると述べたことが、いろいろな文章で引用されていることに気がついて(注)、注目していたところ、掲題の文章にたどり着いた。このほかにも、師でもある峨媚派僧門の彭元植の口述をまとめた記事も読み応えがあった。

2000年に提出した博士論文という『少林武術通考』(未入手)は面白そうなので、いつか読んでみたい。

 

baike.baidu.com

 

〇程大力 中国武術 歴史与文化』

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〇四川武林和我的习武生涯 彭元植

www.360doc.com

 

備忘録として、各パートごとに、印象に残った部分をメモ。

1.少林武術の起源

程大力认为,少林武术源自元末,于紧那罗王传说中有相当反映,少林
武术体系层累构成,紧那罗是历史上出现最早、年代最晚的少林武术偶像,这个偶像的年代可能最接近少林武术诞生的真实年代,不无道理。少林武术武僧起源自元末的观点,已经越来越多地引起学者关注;马贤达、张传玺、旷文楠、周伟良等的少林武术“明清说”,则主要是出自少林武术体系和成
熟角度的考量,亦言之成理。

筆者の観点は、「少林武術」の誕生は元末。

このまとめ部分では、(論文の引用がある)「馬明達」とあるべき部分がなぜか「馬賢達」になってしまているのは残念。

 

2.少林武術の誕生とその存在の歴史・文化的背景

キーワードは禅宗儒学化と、「頓悟」による戒律順守の形骸化、だろうか。

禅宗儒学化に関しては、日本の忽滑谷快天の禅学思想史(中国語に翻訳されているらしい)をもとに語られている。

 

程大力在1990 年《少林尚棍渊源论—兼析少林武术产生的文化历史原因》一文中详细论证了禅宗儒学化的过程:宋代契嵩大师更将佛教“五戒”与儒家五常”相比拟,“仁学爱人,与佛教慈悲虽有相同之处,但孔孟讲仁却从未无条件、无原则地规定什么‘戒杀’。相反,由‘仁’的核心民本思想出发,人人都有权力惩治甚至诛杀罪大恶极者”。“五戒”与“五常”相比拟,“慈悲”向“仁义”靠近,实际上就意味着不再是绝对“戒杀”。佛教教律被禅宗打开了一条门缝,这就为武术产生或进入少林寺提供了可能性。在少林寺内,与武术更密合
的实际上不是佛教教义而是儒家思想。少林寺寺存碑铭的“本寺僧徒,文武并用,护国强兵”以及门联的“效劳社稷”“除暴安良”语,和佛教宣传的业报轮回,以及“无父无子”“无家无国”的思想,已迥然有别。然而,忧国忧民,匡扶正义,正是儒家积极入世思想的一贯主张。

 

郝勤1990 年在《论中国佛教与少林武术》一文中指出,禅宗的“见性成佛全在于‘顿悟’,亦即毋须长期修习(渐悟),也毋须遵守一定的戒律,只要一念觉悟,刹那间即可成佛。禅宗的这套学说使深奥繁琐的印度佛教一变而为适合中国传统思想习俗的、世俗化的、简易的中国化佛教,使佛教从严格的戒律和修行中解脱出来,‘担水斫柴,无非妙道’,世俗生活行为均为禅宗所宽容,甚至出现了孝僧、艺僧、茶僧、酒肉僧等,禅宗成了佛教内部十分鲜见的宽容宗派。在这种情况下,可以想象,所谓‘武僧’‘拳棒僧’的出现就不是什么奇怪的事了”。

 

 少林寺禅宗 儒学化和“顿悟”的道路上,无疑走得最远。少林寺作为一个 宗法庄园实体,其利益当然也需要以政治和武力手段,即僧 兵和武术的维护。元代崇佛,僧人是特权阶级,少林寺僧多 有为帝师者,当然少林寺的地位也因此更为显赫,禁武的元 代,少林寺可能是例外。紧那罗王传说所言为元末,少林武 术可能发端于元末,在接下来的明代,拥有武术和僧兵的少 林寺,顺应明代广泛建立民兵组织的潮流,终于迎来了大发 展的契机。

 

3.対倭寇戦と少林僧兵

 このパートは、後半の部分で、倭寇の大部分は実は中国人であり、倭寇の乱というのは明朝の海禁政策に反対する商民たちの武装闘争であり、「少林武僧」の「抗倭」というのは一種の悲劇であったという観点を紹介。もしそういう見方が成り立つのでなら、「少林武僧」のみならず、戚継光らの活躍もすべて中国人同志が戦った歴史の悲劇ということになってしまう。筆者自身は、日本人か中国人かとそう簡単に割り切れるものではない、と若干態度を保留しているものの、こういう観点が武術史の世界でも紹介されるようになってきているのがわかり、とても興味深いと思った。

 唐豪曾将抗倭僧兵名录与少林寺七十字派诗对比,认为,“合于七十字派者,只了心一人”,“余则与七十字无一相合”,“不能证明其为少林僧”。天员与月空争为将领,天员说“吾乃真少林也”,“实则以字派考之,二人均难言为少林僧也”。唐豪认为:“不合字派诸僧,所擅者均少林棍,则谓为少林派武僧则可,谓为少林僧则不可”。
程大力对此提出了质疑,见于文献记载的僧兵,留下的应该多是法号而非法名。抗倭僧兵主体是少林寺僧兵,但既有少林寺本寺籍的,也有少林寺分院籍的、非少林寺籍的、乃至游方无定籍的最后来到少林寺的僧人。

 

近年有人提出,所谓倭寇,实际上绝大部分是中国人。所谓倭寇之乱,实际上是沿海商民反抗明王朝海禁的武装斗争,是朝廷实行闭关锁国政策结下的苦果。张亚芬等1988年《嘉靖少林僧兵“御倭”的历史真相》一文袭用了上述观点,即所谓“倭变”是人民起义。并认为,虽然僧兵身怀绝技勇猛善战,“但可惜的是,他们打击的对象却是中国的武装反抗明王朝的海商,多少生灵惨死在僧兵飞舞的铁棒之下”。该文以为:“少林僧兵‘御倭’是一出历史悲剧,应予否定”。

 

4.南少林、北少林問題

 南少林寺問題に関しては、まず(1) 莆田林泉院説、(2)泉州東禅寺説、(3)福清少林院説、(4)東山古来寺、仙游九座寺説、の各説を概観。そのうえで天地会の伝承の中に出てくる、大廟、僧兵、武功を備えた天地会の大本営となるような南少林寺は実際には存在しないと述べる。

本研究认为,天地会附会少林寺,初始只是漫称少林,并不指明到底哪个寺庙是南少林,或者说这个南少林具体的位置。因为这个集大庙、僧兵、武功于一体并为天地会大本营的南少林寺实际上并不存在。当时闽、粤、台地区实际有过的那些极少的移民带来的“少林寺”,要么早就毁弃不存,要么只是村里小土地庙规模,所以天地会只敢泛泛谎称为少林。将少林寺附会于一个具体寺庙的做法,是从清末开始的,因为这时已无需再顾忌时人见到那些真的小“少林寺”了。所以,《香花僧秘典》就有了“古来寺”有“南少林之誉”的
说法。当该做法是出于政治目的,那就是反清革命,堂皇而正派;而当该做法是出于经济目的,那就是旅游捞金,不怎么光彩。而如果林泉院石槽是为了达到某种目的而人为造成“其”字的漫漶,则尤为恶劣。泉州、莆田、福清,早已耸起几座规模宏大的“南少林寺”,一律名家题词,泉州、福清,夸大
其词,而莆田则迹近作伪。

北少林問題に関しては、以下の結論部分をメモ。天津の北少林寺の武術の由来についてはやや慎重な論調が紹介されている。

雪庭福裕曾“分建和林、燕蓟、长安、太原、洛阳为五少林”,唐豪说的7 个真少林,就是这5 个再加上登封少林和泉州少林,换言之,洛阳和登封各有一个少林寺。而叶宪允说的5 少林中,洛阳少林就是登封少林,也就是说它们是1 个而不是2 个。现在的登封虽属郑州管辖,但历史上登封长期属洛阳辖境,洛阳治所也一直在今洛阳,称登封少林为洛阳少林,也并没有错。但少林寺并非元蒙福裕时候才有的,早在北魏时就叫少林寺了,那怎么福裕洛阳少林寺叫“建”?既然洛阳登封就是一个少林,那怎么能叫“分建”?另外,若洛阳还有一个少林寺,为什么史籍和考古一点痕迹也看不到?叶宪允找到了福裕住持和林兴国寺的资料,也找到了福裕开建和北少林的资料,但兴国寺和北少林寺究竟是1 家还是2家?蓟县盘山少林寺,有寺确凿无疑,但是否有少林武僧武术,值得怀疑。研究者并未找到直接证明盘山少林寺有武僧武术的文献资料,而蓟县商仕芝少林习武,因此,那可能只是商氏后人的未经任何材料证明的自说自话。如果少林武术确实诞生于元末(即紧那罗王时代),那么福裕在世的元初,少林寺就根本还没有少林武术,他创立的北少林,何来僧兵武术?改朝换代,悬隔千里,这些分寺和母寺,不可能还有紧
密联系行为同步,因此,本研究认为北少林没有少林武术。

 

5.易筋経の成立時期

 このパートでは、阿徳の論によりつつ、徐震、唐豪らが論証したように、序文が偽書であるのはほぼ明らかであるとしても、内容については那羅延金剛神信仰に基づく「金剛堅固」、「金剛の体」を手に入れる伝統があり、「金鐘罩」や「鉄頭功」の類もその遺風であるとの観点が紹介されている。

 

 徐震、唐豪考证之出,达摩传《易筋经》之伪几成定论,但也有不同的观点出现,阿德是其代表。“序文伪经文不伪”是他的核心观点。他2006 年在《<易筋经>李靖序文考析》一文提出,《易筋经》所表现的对“金刚坚固”的追求、以及经文所描述的修炼方法,显然与少林寺传统的那罗延金刚神信仰有
关。将其演变形态的文本《易筋经》视为房中书,或世俗意义的内功功法典籍,是为“俗眼”。阿德认为,“少林功夫一直以刚猛著称,正是那罗延金刚神信仰的外化。《拳经拳法备要》的‘壮形骸’、‘胜铁胎’,与《易筋经》的‘金刚坚固’‘金刚之体’,应该源于同一背景。”“少林寺内流传至今的功法中,尚有‘金钟罩’‘铁头功’之类,皆其遗风”。

 

阿德提出的序文伪经文不伪的观点值得重视。是否可以这么理解他的观点:《易筋经》是纯粹佛门的自身源流发展,是纯粹少林功夫的结果和产物,其作者是佛门少林武僧。《易筋经》伪是根据李靖的序得来的,是李靖序说的达摩传《易筋经》,如果除掉这些序,那《易筋经》就是一个佚名作者的著作而已,这个作者并没有说自己就是达摩,那么,“伪”字便无何谈起。这个作者为什么隐匿了自己的姓名,可以猜测的原因很多,但最大的可能是,《易筋经》应该不是一时一地一人的专利,而是长期在很多人中流传并不断完善的实作功夫,最后有人行诸文字,甚至执笔者都不是一人。少林寺
自然可以认为,历史上少林寺僧人习武集团,是最有可能创造这门功夫的组织实体。阿德判断《易筋经》的著作年代是相当早的;周伟良认为,《易筋经》产生的时间“至少是明末,有可能更早”,具体时间并未谈及,但至少也是万历年间了;《易筋经》成书年代按张志斌的观点是最晚的,大致在顺治年间到康熙中期。

 

现在发现的《易筋经》最早抄本,是在清初,张志斌甚至认为“沈校本”可能就是《易筋经》的祖本。因此,发现明本《易筋经》的可能性是越来越小了。

 

6.易筋経以外の少林武術関連古典についての研究

取り上げられているのは、 俞大猷『剣経』、程宗猷『少林棍法闡宗』、『少林衣鉢真伝(または「羅漢行功全譜」、「羅漢行功短打」)、『拳経拳法備要』、尊我斎主人『少林拳術秘訣』、佚名氏『少林宗法図説』

李良根1992 年发表的《<剑经>注解》,将《剑经》内容归纳为6 类205 条,每条包括原文、词解、释义3 部分,其中,词解既有对《剑经》词语的解释,也有对原文的校正和存疑。而释义则既有对原文的概括,也有他自己的心得阐发。有学者称李良根的著作为“用功颇深”者。

 

〇文中でも紹介されている李良根『剣経』注解

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由曹焕斗《注张孔昭先生<拳经>序》序名看,仿佛《拳经》作者就是张孔昭;曹焕斗在序中又说其“得孔昭先生从余族高伯祖在壶关县任中所撰《拳经》”,也说是张孔昭撰著《拳经》。但《拳经》书名下又有“横秋张孔昭述;在东曹焕斗注”,却是有“述”、有“注”,就是没有“著”,奇怪得很。余
水清2008 年《<拳经拳法备要>拳学论析》中提到,真正的最初撰稿人不是别人,就是张孔昭之徒、曹焕斗的“高伯祖”曹某。“句中的‘从’字,按繁写为‘從’,而‘從’字很可能是‘徒’字之误。”“若将‘从’字还原成‘徒’字,这句话就该是‘得孔昭先生徒——余族高伯祖在壶关县任中所撰拳经’,如是语义
自然通顺,柳暗花明”。

 

欲を言えば、もう少し、易筋経以外の個別の伝承内容についての具体的な事例研究みたいなものがあったらよいのに、というのと、少林寺といえばやはり少林寺周辺の武術学校や、少林寺というブランドのもつ影響力(いい意味でも悪い意味でも)を含めた、社会的、経済的側面からの研究があったら面白いのにと思う。後者の点については、釈永信方丈の自伝や評伝(内容はほとんど被っている)は時代の変化も感じられて、とても面白かった。

(注)

「競技武術は改革の結果では全くなく、そもそも左傾化の直接の産物である。その実践は、実際にはとっくに行き詰まっている」「様板武術(競技武術)は極左思想と路線の直接の産物である」
❝竞技武术根本不是改革的结果,它原原本本就是左倾化的直接产物,它的实践实际上早就走入了死胡同❞,❝样板武术(竞技武术)是极左思想和路线的直接产物 ❞

中華人民共和国武術史』(楊祥全・楊向東)に引用されている程大力「伝統武術;私たちの、最大にして最も大切な、絶滅寸前の非物質文化」(「传统武术:我们最大宗最珍贵的濒危非物质文化遗产」)

周偉良編著『中国武術史参考資料選編』

昨年暮れにインターネットで注文。

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 この本のウリは個人的には二つあって、一つは清朝の公文書(檔案資料)の部分で、白蓮教や八卦教の反乱の関係者の供述書や、これらの事件に関する地方官僚から中央への報告書のなかに見られる武術の内容が約20ページにわたって紹介されている。梅花拳や七星紅拳、八卦拳、異伙(義和)拳、八番拳、神拳、金鐘罩…といった語が見られる。

 昔の文章のはずだけれど、供述書などの口語体はいまの言葉とそんなに変わっていないようで、意外に読みやすいとも思った。

このあたりの史料は、周教授が明清時代の少林寺や、梅花拳についての論文を書かれた際に活かされている模様。 

 

嵩山少林寺公式ウェブサイトより 周偉良『明清时期少林武术的历史流变

◎人民大学清史研究所の公式ウェブサイトより 周偉良『梅花拳信仰研究 兼論梅花拳的組織源流

 

もう一つは中華人民共和国の建国初期の武術に関するさまざまな議論が紹介されているところ。

建国初期の議論に関して、以前に蔡龍雲の「我対武術的看法」についてメモしたことがある。この文章が引き金になって、武術の性質に関する論争が雑誌『新体育』などで展開されたことや、反右派闘争のなかで、武術の普及方針をめぐる意見の相違が政治問題化し、王新午が厳しく批判されたことなど、建国50周年時に出版された『中華人民共和国体育史』で簡単に触れられていたほか、最近では楊祥全『中華人民共和国武術史』でも比較的詳しく取り上げられていたものの、なかなか当時の雑誌資料などを見られる機会はなく、やや物足りなく思っていた。

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〇建国50周年の1999年に出版された『中華人民共和国体育史』

 

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〇楊祥全、楊向東『中華人民共和国武術史』

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その点、この本の205ページから237ページの建国初期、文革期の史料を集めた部分は、「新体育」などの雑誌記事からの抜粋が多数収録されていて、とても参考になった。

武術における「舞」の要素をどのように理解するかという点に関する、蔡龍雲の主張とその他の論客の反論のほかに特に面白いと思ったのは、(上記のように)王新午の論(「開展武術運動的一些意見」)が共産党批判と曲解されて政治問題化し、糾弾されてゆく過程(注1)、綿拳の改造(バレエの要素を取り入れたことが議論を呼んだ)についての温敬銘の苦言と藍素貞の反論(注2)など。

 

それぞれ部分的引用で、全文掲載ではなく、かつ漢字の変換ミス(「武術」が「誤叔」「無叔」になっているような考えられないミスも)や、同じテキストが二重にでてきたり(コピペの間違い?)、いまいち参考資料としての信頼性に欠ける部分もあるけれど、ないよりは全然マシだし、檔案資料などは、そもそも自分のような素人外国人が閲覧の機会を与えられたとしても、膨大な資料の中から必要箇所を探すことすら難しいと思うので、とても有難く、かつ刺激的だった。

こういう史料を見るにつけ、武術史についてますます興味が湧いてくる。そして妄想は続く(笑)

  

 (注1)

王新午への個人攻撃は、『武術運動論文選』(1958年)などでも、王の論文は掲載せず、糾弾するような文章だけ掲載する形で露骨に行なわれている。

 

(注2)

「早在1953年,蓝素贞表演的绵拳就得到了人们的重视。1957年,蓝素贞将自己演练的绵拳整理成书并由人民体育出版社出版。温敬铭在详读了该书后,对蓝素贞这种勇于创造的精神和基础功夫颇为钦佩,但对她创造的方向有不同的看法。他认为“现在整理研究武术是在老树上发新芽”。而蓝素贞的绵拳,六段36个动作,除第二段还像拳术外,其余五段都是把武术的动作芭蕾化了。温敬铭认为这种创造方式是砍掉老树接新枝,已经将武术改头换面,绝对不可能保留武术的特点。
1958年,蓝素贞专门撰写了《从改编绵拳谈对武术技术的看法》一文,在该文中蓝素贞认为:“武术技术是技击、体操和武舞的综合体。三者是不能分割的,但成分的轻重,不是等量配合的。因而才能形成各个拳种内容的不同和概念的区别。”发展到今天,“武术作为军事技术和自卫的作用基本上是消失了。因此,今后在整理武术的技击内容方面……只能以它为手段,以达到强身的目的”,“唯技击论的观点是不符合实际情况的”。 」
楊祥全「根基乍立——新中国武术史之一」

 ◎藍素貞の『綿拳』

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武術競技の国際化(国際武術聨合会 呉廷貴取材記事)

国家体育運動総局のウェブサイトに、国際武術聨合会執行副主席の呉廷貴(Anthony Goh)への取材記事(中国体育報からの転載)が掲載されたのでメモ。

呉廷貴は米国籍の華人

GKF - History

 

記事によると、国際武術聨合の会員は現在147(記事によれば、それに対して空手は180以上)、2年に一度の世界大会には約80の国と地域が参加、という状況らしい。2017年のユニバーシアード台北大会で中国武術ははじめて正式競技化され、アフリカ競技会、2019年のパンアメリカ競技大会での正式種目化、地中海競技大会などの大型競技会での競技種目化を目指すという。

 

2015年、コンゴで開催されたアフリカ競技会の開幕式では中国武術が取り上げられたようだけれど、この記事によると正式競技化はされていなかったようだ。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

 国际武联执行副主席谈武术国际化和发展
发布时间:2017-02-09 来源:中国体育报 作者:蒋亚明 
  去年底,第八届世界杯武术散打比赛在陕西西安举行,这也是国际武术联合会全年举办的重要赛事之一。“把我们的会员协会建设得更有实力,实现武术项目的全球化均衡发展,是国际武联在推广武术进程中的重要策略。”国际武术联合会执行副主席吴廷贵在谈到武术国际化和发展时,这样表态。
  实现全球化均衡发展
  对于武术来说,散打和套路是最主要的两个项目,国际武联在推广武术的进程中,也是将这两个项目作为一个整体统筹考虑的。吴廷贵介绍,目前国际武联采取的推广方式包括增加自身会员、举办国际性赛事等多种途径。
  据了解,国际武联现有147个会员,在它所举办的赛事中,世锦赛每两年举办一届,每届都有80多个国家和地区参加;青少年世锦赛则一般有40-50个国家参赛。目前,这样的赛事规模和局面与其他一些国际体育组织还有一定距离,例如空手道项目的国际组织有180多个会员,而且他们的组织历史更悠久、各成员国的实力更均衡。
  吴廷贵表示,在这样的情况下,国际武联希望给予自己的会员协会更多技术、器材、培训、参赛等各个方面的支持,把会员协会建设得更有实力,从而实现武术项目的全球化均衡发展。“我们希望武术项目能够进入各个国际性或区域性的国际赛事中,2017年的世界大学生运动会上,武术项目将第一次进入比赛项目,对于国际武联来说,这也是一个里程碑,因为世界大学生运动会是仅次于奥运会的国际性综合运动会。”他说。
  实际上,2009年武术项目已经进入了世界运动会比赛项目,2013年则再次入围。目前,国际武联希望能成为世界运动会的永久会员,让武术项目成为它的永久项目。吴廷贵还透露,国际武联正在争取成为非洲运动会、2019年泛美运动会、地中海运动会等大型区域运动会的比赛项目。“如果实现,在正式进入奥运会之前,武术在国际上、区域上的重要运动会中都是其正式项目,这将有力地帮助武术的国际化推广。”他表示。
  加强国际宣传与项目改革
  目前,国际武联在宣传上的投入和精力正逐渐放大。但吴廷贵坦言,过去与其他的运动项目相比,作为非奥运项目的武术,在国际宣传上确实比较薄弱。他介绍,国际武联现在正致力于加强作为一个国际单项组织的宣传,例如2016年的武术散打世界杯赛事上,国际武联就邀请了欧洲的一个制作公司作为赛事转播合作伙伴,通过多种不同渠道向全球实现网络直播。
  吴廷贵认为,散打世界杯这样的商业性武术赛事更能超越原有的武术关注群体,成为面向一般公众的一个很具有观赏性的赛事,而它也正是国际武联未来短期内想努力去做好的一个赛事。
  在奥运会以及整个国际大环境背景下,目前“性别平等”是一个很重要的议题。武术散打女子项目由于开展相对较晚,在推广上也更弱一些,因此导致了女子选手与男子选手在技术水平上的差距比较明显。这也是武术散打世界杯比赛中,男女选手在护具使用程度上有所区别的主要原因。
  但从2016年武术散打世界杯开始,武术散打项目的护具改革就开始实施。本届赛事上,男子选手的部分护具已经开始去掉。吴廷贵说,传统武术中,护具本身就很少存在,但作为一项体育运动,我们必须照顾到运动员的人身安全。
  但吴廷贵认为,对抗性项目中的严重受伤很多都是由于实力悬殊而产生的,男子散打项目发展相对成熟,能进入世界杯赛事的选手更是全球这个领域的顶级选手,他们具备了非常强和均衡的实力,去掉护具问题不大。但在女子领域,国际武联一直还不是很放心,所以可能还需要一段时间去观察。
  充分利用中国武术人才师资
  吴廷贵一直认为,在中国国内,作为一项运动,武术目前的地位与它的国际影响力还并不匹配。他说,武术源于中国,属于世界,作为在海外推广武术多年的美籍华人,自己深深了解中国武术在海外的受欢迎程度,“中国武术在国外受到广泛欢迎,大家都很喜欢,而且在中国那么多的文化中,只有武术不受语言障碍,普及性非常高。”
  吴廷贵介绍,在海外武术项目开展较好的国家和地区中,中国移民都普遍较多,例如上世纪后半叶,通过李小龙、李连杰、成龙等武术明星的宣传,中国武术一些拳种在海外得到了很好的宣传和推广。但在那些华人较少的国家和地区,武术项目的开展则没有那么好。近年来,吴廷贵先后到过非洲的突尼斯、刚果,他发现那里武术基础确实比较差,而且那里也基本上没有中国人教拳。
  去年,中国武协主席张秋平提出,希望能将武术退役运动员作为武术推广的师资人才,派赴海外进行武术教学。吴廷贵表示,国际武联非常赞赏这样的思路,也希望与中国武协合作,提供相应的语言培训,“我们可以借鉴早期华人在海外通过‘餐厅英语’进而掌握当地语言的经历,首先学会‘武术英语’,从而可以先出去进行武术教学。”
  他说,国际武联目前具备这样的能力,可以帮助中国的退役运动员出去,在全球范围推广武术。并且,对于那些无法解决经济问题的运动员,国际武联也可以提供相应的帮助和扶持。吴廷贵说,在中国,武术人才济济,但是国内的竞争也非常激烈,向海外推广也为这些武术人才提供了更多发展的空间。

http://www.sport.gov.cn/n317/n344/c788216/content.html

 

彼が代表を務めているのかどうかわからないけれど、U.S.WUSHU CENTERのコーチは 元北京チームの兪紹文と、元福建チームの高佳敏が勤めているらしい。兪紹文の長拳は、ロードショー公開された「ドキュメント 燃えよカンフー」でも紹介されていて、いかにも北京チームらしいきびきとした長拳で素晴らしかった。

 

www.uswushu.com

 

兪紹文の長拳

www.youtube.com

 

〇高佳敏

www.youtube.com

「三尖照」「三尖到」など

人民体育出版社の余功保編著『中国太極拳辞典』の、「三尖相対」の項目をたまたま見ていたら、

 

太极拳练习基本要领。指在练拳中鼻尖,膝尖,足尖上下在一条直线上

 

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と出ていた。

出典が記されていないので、この説明がどこからきているのかわからないけれど、なんとなく印象として、手(または手にもった武器)の位置(向き)に関する要求が含まれていないのが不思議な気がして、中国武術大辞典、中国武術百科全書の関連項目を確認してみたら、次のように出ていた。

 

中国武術大辞典

三尖照

传统用语。鼻尖,手(指)尖,脚尖为“三尖”;上下一线为照。盖为拳法要领。清苌乃周《苌氏武技书》卷四:“三尖照者,鼻尖手脚尖,上下一线相照也。”枪法中亦有三尖相照说,即上照鼻尖,中照枪尖,下照脚尖。

 

中国武術百科全書

三尖

武术用语。指鼻尖,手指尖,足尖。拳械中大部分定式动作都有“三尖相对”或“三尖相照”的规格要求,即上对鼻尖;中对手尖或器械尖;下对足尖,使三尖上下一线贯穿。清苌乃周《苌氏武技书》卷四云:“三尖照者,鼻尖手脚尖,上下一线相照也。”枪法中对三尖相照的要求是:上照鼻尖,中照枪尖,下照脚尖。(关铁云)

 

やはり、鼻先、足先(脚尖)と揃えるべきなのは手(武器)の先という理解のほうが一般的な気がする。

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槍法の「三尖相照」に関する古い記載としては、戚継光『紀效新書』の「長兵短用説」に槍の三大病の一つとして「三尖不照」がでてくる(注)。この場合の三尖は、上記引用のとおり鼻尖、槍尖、脚尖。

この説は、「古論」として、『長槍法選』や 『手臂録』にも引用されているので、それなりに広く受け入れられているのだろう。

 

〇馬明達点校 中国武術協会審定『紀效新書』(人民体育出版社)

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拳法における三尖論について、両書とも『萇氏武技書』を挙げているけれど、江百龍・林鑫海主編『明清武術古籍拳学論析』によると、萇乃周の三尖(および六合)に関する論述は、(拳法に関する)文献に現れる最も古いものだという(P.311)。そこで、『萇氏武技書』を確認してみると、何箇所かに分かれて「三尖」という言葉がでてくる。その一部は、『紀效新書』以来の槍法の三尖論を拳法に応用したと思われるもので、鼻先・拳先・足先を一直線上に揃えるという内容だけれど(三尖照者、鼻尖手尖脚尖上下一線相照也 「論初学入手法」)、萇乃周の「三尖」論は、「三尖は気の領袖、気の帰着する処(三尖為気之領袖、乃気所帰着是處「十二節屈伸往来落気内外上下前後論」)など、「気」の働きに及んでおり、槍法の三尖論とは異なる部分もある。

また、三尖「到」論になると、鼻先のかわりに眼法と、上肢・下肢の動きを協調させることが説かれている。

 

よく理解できないところもあるけれど、今後の参考のために、徐震の整理による萇氏武技書』(山西科学技術出版社版)から、関連する場所を以下にメモしておく。(近年、国レベルの非物質文化遺産に登録されたせいか、萇家拳に関してさまざまな本が出版されているけれど、高いものが多くて手がでない。)

極端な理解をすると、動作の外形など形式的・静的な側面について述べたのが三尖照、意識のはたらきなど内面的・動的な側面について述べたのが三尖到といえるだろうか。

動的要素になると、「六合」も関係してくる(「静能三尖照、動則六合一斉」(托槍勢))ようで、このあたりの理解は一筋縄ではゆかなさそうな気もする。

萇氏武技書』、以前に途中まで読んで挫折し、今回も流し読みしただけだけど、いろいろ興味深いことが含まれていそうなので、できたらもう少し腰を据えて読んでみたい。

 

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三尖為気之綱領論

編名に「三尖」の語がある。頭、手、足について論じているけれど、本文中には「三尖」の語は見られない。 PP16-18

 

三尖照論

錬形不外動静、動則気擎不散、静如山岳難揺、方能来去無着。毎見俗学、動静倶不穏妥、蓋未究三尖是照與不照也。三尖照則無東斜西歪之患。三尖不照則此牽彼扯、必有揺晃之失。如十字左脚前右手前者、右手正照左脚尖。頭照右手、則中下一線、不歪不斜、必穏。側身右脚前右右手前順勢者、頭照右手、右手照右脚、余倣此。P.18

 

三尖到論

三尖到者、動静一斉倶到也。不此先彼後、不此速彼遅、互有牽扯而不到也。蓋気之着人、落点只一尖、而惟一尖之気則在全体、一尖不到、則有牽扯、身気不入矣。自煉不霊快、摧人不堅剛、皆是此失、凡錬形者、須刻刻留意是三處、方為合竅。PP.18-19

 

十二節屈伸往来落気内外上下前後論

三尖為気之領袖、乃気所帰着之處。人但知之三處宜堅実猛勇、不知落点宜落点堅硬如石、方能不惧人之衝突、不慮我之不敵也。其所以堅硬者、則在逐處之骨節。骨節者、空隙也。乃人身之谿谷、神明之所流注。此處精神填実、則如鉄鋼、屈之不能伸、伸之不能屈、気力方全。手有肩肘腕三節、腿有胯膝脚脖三節。左右相併、共十二節、乃人身之大骨節。手之能握、足之能歩、全頼乎此。如石沙袋、逐層填実、雖軟物可使之堅硬、但気落随勢、有前後内外上下之分。・・・・ PP.19-20

 

合煉中二十四勢

…前此練腿、練膊、練手、練足、練頭、練肩、練肩、練肘、練身、内気、煉引気、煉元気諸説、皆是分練之法。到于頭手脚如何合法。勢已転接、如何連法。宜剛宜柔、如何用法。不経此番講究、此番磨煉、則三尖不照、落不穏当、三尖不到、此前彼後、陰陽舛錯、気不接続、剛柔顛倒、牽上拉下、欲求穏如泰山、捷若狡兎、必不能也。蓋形以寓気、気以催形、形合者気自利、気利者形自捷、非両事不仮借也。錬之之法、勢勢究、則三尖配合;動静験、則三尖畢集。陰転陽、陽転陰、勿隔位而另起爐灶。柔過気、剛落点、須相済而莫失倫次。上気在下、下気在上、詳其牽拉。前気在後、後気在前、理其阻滞。勢無三点不落(原注:頭手足)必三点方落点、気無三催不至、不至三催莫出手(原注:心気神)。…

 

論用功

…第一要三尖照。三尖、頭手脚三尖也。其次要気催三儘。三儘者、頭手脚三[角秦]也。P.49

 

講打法

一.凡側正諸勢、宜将身子擱于両腿中間、三尖照落。不可此前彼後

一.… PP.58-59

 

論初学入手法

…三尖照者、鼻尖手尖脚尖上下一線相照也。三尖到者、眼睛拳頭脚尖不先不後、一斉倶到也。三合者、脚手眼相合也。凡出手要比何勢、打人何処、我眼神所注、手之所打、脚尖所進、須一斉倶進、一斉倶到。凡打勢不論何勢、欲打人着力穏当。前足不拘在人脚内外、須脚尖搶進他身身後、三尖照落、方好。… P.64

 

[托槍式]

側身分虚実、凝神気如虹、左鬆右抽満。杆稍向下垂。静能三尖照、動則六合一斉、霊活催[摧?]堅硬、剛柔自相済 P.130

 

 

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その他、拳法において、身体各部を梢・中・根の三つの部分にわける「三節」説も、槍法理論と少し関係があるような気がする。

たとえば、『手臂録』では、槍を頭、胸、腰、根の四つの部分に分けたり(「沙家竿子用法説」)、「槍是纏腰鎖」(注2)の語を引いて、「「我が槍頭をもって彼の槍根を制す」の理」と解説している。これは四節説とかいう形で総括されている訳ではないけれど、この考え方が梢(頭・上)、中、根(下)に分ける発想と繋がっているような気がする。

 

それにしても、『中国太極拳辞典』 の記述は、どこから来てるんだろう。

 

(注)

戚継光も槍の指南を受けたという唐順之の『武編』巻五にも槍の三大病の記述があるけれど、いま残っているその記述は不完全のように見える。

具体的には、四庫全書中の『武編』の記載は以下のとおりで、『紀效新書』以降の記述と較べると、二つ目の「病」である「当扎不扎」が抜けており、「三つの病」の説明になっていないように見える。かつ、最後の七文字は、文が繋がっていない。『紀效新書』では三大病の直前の箇所にある。

 鎗有三件大病那三件大病一立身法不正二立當不上不照三尖中不照鎗尖下不照脚尖三件大病疾上又加疾扎了猶嫌遅

archive.org

こちらも同じ。静岡建立中央図書館の蔵書を国文学研究資料館が撮影したものらしいけれど、ほかにどういうものがあるのか、よくわからない。 

 

(注2)これも、『紀效新書』などに見られることばだけれど、唐順之『武編』では「槍勢浮腰鎖」。

 

国家武術套路集訓隊

今年のCCTV春節聨歓晩会」の武術関連のプログラムは、先日、設立が発表されたばかりの「国家武術套路集訓隊」メンバーによる演武だった。

 

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幹部を含む、「集訓隊」のメンバーは以下のとおり。

このメンバーの中から、9月の世界武術選手権大会の参加選手の選抜も行なうらしい。

 

首届国家武术套路集训队大名单

  领 队:张玉萍

  副领队:田苏辉 金肖冰

  教练组

  组 长:代林彬

  教练员:王二平 严平 李强 魏新换

  运动员

  男队(48人):

  队长:王地

  队员:于雷 马家军 王典 王子龙 王静申 史龙龙 刘钊赫 刘佳伟 刘忠鑫 刘念奇 刘德文 吕泰东 孙培原 庄冠松 朱雷明 汤海瑞 吴晓龙 吴照华 李振 李强 李付魁 李明杰 李剑鸣 李隆承 李敬德 杨亚霖 杨顺洪 陆如飞 陈洲理 周新建 栗志峰 钱康 钱晓乐 高春 高久尚 高浩楠 崔碧晖 常志昭 梁永达 鹿清华 麻骐韬 黄志坤 黄陈健 彭子运 甄海涛 鲍焕祥 谭金鹰

  女队(32人):

  队长:庄莹莹

  队员:于萌萌 王冰 王彭飞 叶朱倩 巨文馨 龙骄尔 刘悦 刘芳芳 刘津霞 汤露 邢玉婷 吴雪琴 张双凤 李奕萱 杜昊滢 陈磊 陈惠颖 周黎 郑少谊 胡钰莹 赵文文 赵兰兰 唐萱 海巍 钱乐芸 梁琪 褚优贝 阚文聪 戴丹丹 魏红 魏海玲

出典:中国武術協会

男女隊長の競技の動画

 〇男子の「隊長」王地

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 〇女子の隊長 荘莹莹

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「集訓隊」ということでは、1989年から1990年に北京体育学院に留学していたとき、90年の北京アジア大会の参加選手選考のための合宿が行なわれていて、そのメンバーも「集訓隊」と呼ばれていた気がする。今で言う国際第1套路の出場選手をきめるための選考現場などを見ることができて、とても貴重な経験だった。

 

今回、はじめての正式な「常態化」(注)した国家チームが編成されるに至る経緯については、楊祥全・楊向東『中華人民共和国武術史』の第6章あたりが参考になる。それによると、2002年の第14回アジア大会あたりから、套路競技・散打競技の双方で中国選手の絶対優位が崩れそうな傾向が見られ、関係者が国家チームの設立の必要性を訴えはじめている。

2005年11月、国家体育運動総局が2008年のオリンピックに備えて、2005年暮から2006年にかけて、冬季訓練を行なうよう各競技団体に指示し、それを受けて套路競技においては2006年1月10日から浙江省杭州で、散打競技においては同1月8日から陝西省西安で、選手を集めて訓練が開始された。このときの集訓隊も80日間の限定的なもので、国家の正式な編成とは呼べないようだけれど、雑誌『中華武術』などでは当時、「国家武術集訓隊」などの語を使って紹介されていたらしい。(上掲書PP179-181)

 その時点から考えても、10年以上たって、今回、漸く正式な国家チームの設立が認められたということか。

 

1月18日の成立大会では張玉萍副主任によって「体育総局武術中心の国家武術套路集訓隊成立に関する決定」なる文章が仰々しく読み上げられた模様。さらに張秋平主任は、諸君の一挙手一投足が国のイメージに繋がると、言動にも注意をするようにクギをさし、「祖国利益至上」なることばも使ったようで、各メディアに引用されている。

 

ちなみに、散打のナショナルチーム設立については、2011年の暮に一度メモしているけれど、当時の記事を検索して読み直してみると、2012年春に設立された散打の「国家隊」は体育運動総局の正式な批准は得ているものの、「国家隊」の正式な編成に入るものではなく、費用は武術運動管理中心が企業から調達しているらしい。

此次组建国家队经国家体育总局批准,是一支非编制的国家队,费用由武管中心自筹,组建国家队也得到西安当地企业的赞助。

中国散打国家队组建过程和训练情况__武术世界网---华夏国际武术联盟官方网

 

 对于散打国家队和以往集训之间的区别,高小军表示,“原来散打是以集训制为主,抽调一些可以承担比赛任务的运动员临时集训一段时间,主要是为了应对比赛,并不是真正意义上的国家队。这些运动员具备一定的实力,但是谁都可以参加这样的比赛。在今后,第一、比赛选手必须由国家队派出;第二、从国家队中择优参加比赛,将进行队内选拔,把真正有实力、表现好的运动员派出去。这样在队内也会形成一个竞争机制。同时,也是把这块市场管住,使出去参加比赛的选手,成为真正意义上的国家队运动员。所以国家队的队员必须经过层层筛选,经过国家武术运动管理局的注册、批准,进入他的管理程序,同时还要接受国家队的集训、考评,采用动态选拔。如果说选手的比赛成绩不适合国家队的情况,将会随时调整,让更合适、更能承担比赛任务的队员进入国家队。”

武术散打国家队在西安正式成立__武术世界网---华夏国际武术联盟官方网

 

散打の方の動きをフォローしていなかったので、これ以降の動きは改めて要確認。今回の套路競技のほうも、財源などについて言及がないので、どういうことになっているのかはよくわからない。

 

(注)「常態化」の語はこの記事から

 首支国家武术套路集训队在京成立

2017年01月18日 17:38:42 来源: 新华社
  新华社北京1月18日电(记者周欣)18日,国家武术套路集训队在北京成立,共有80名运动员和5名教练员。国家体育总局武术运动管理中心主任张秋平介绍说,以前经常会为了临时准备某一赛事或者活动而临时组建国家集训队,如今武术套路项目有了常态化的国家队。

  “武术是中华民族传统体育项目,具有强身健体、防身自卫、修身养性的功能价值。发挥武术的功能价值,服务大众,服务全民健身的国家战略,助力健康中国建设,是新形势下武术发展面临的新任务、新要求。成立一支国家武术套路集训队是我们多年的愿望。今天,理想终于成为现实!”张秋平说。

  张秋平指出,国家武术套路集训队将帅们要加强荣誉感、使命感,树立为国争光的决心与信念;要加强科学训练,引领武术套路发展的技术方向;要加强队伍管理,打造一支威武之师、文明之师。

  2017年将举行世界武术锦标赛等国际赛事,届时将从国家队中选拔运动员参赛。

http://news.xinhuanet.com/sports/2017-01/18/c_1120338730.htm

 

武當派武術の標準化

武當派武術の標準化套路編纂が進行中、という記事が流れてきた。

 

www.10yan.com

 

記事によると、プロジェクトは、湖北省武當山旅游経済特区の十大重点工程の一つとして2015年12月に専門のプロジェクトチームが組織され、武當拳、武當太乙拳、武當剣の標準化套路を編纂しようとしているらしい。

 

2016年12月までに、200名以上の伝承者と資料を検討して検討された、套路に含める技術内容の審査会は、国家武術研究院が招集し、陳国栄、張山、江百龍、劉鴻鴈、康戈武、門恵豊、呉彬、陳順安、王培錕らが参加。

 

下のリンクは、2016年6月の映像つきの報道。

「標準化しなければ産業に結び付けることができず、産業化できなければ国際化できない」という特区幹部のコメントが印象的。

v.wudang360.com

 

思い描いているようにうまく機能するのかわからないけれど、さてどんなものが出来上がるのだろう。

 

〇 武當山特区宣伝部のサイトにある動画集

v.wudang360.com

 

 〇2011年に亡くなった趙剣英の動画

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

過去メモのフォローアップ数件

いくつかフォローアップ系の小ネタ。

 

1.竇奉三・馬歩周『国術概論』

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 馬礼堂(馬歩周)が志然」名義で書いたような過激な議論が展開されているのかと思って読んでみたら、中身は至極まっとうに国術の価値や功能を論じたものだった。

若干、意表を突かれた気がしたのは、冒頭、国術の必要性を論じた部分。

筆頭に挙げられていたのは、国防でも、自衛でもなく、健身でもなく、「幸福」のため。

そうか、国術っていうのは幸福のためにあるんだな、と思ってなんだか深く心に刻まれた。

別の箇所で、国術と性欲の関係が論じられているのは(第六章)、嘉納治五郎の「精力善用」の影響?

  

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〇関連の過去記事

zigzagmax.hatenablog.com


2.孔子学院

2016年に全世界78か国240か所の孔子学院で中医太極拳等のコースを設けたという記事。

news.xinhuanet.com

 

〇アリゾナ大学孔子学院の例を紹介する記事

www.chinaqw.com

 

〇関連の過去記事 

孔子学院を通じた武術の普及は、段位制やオリンピック競技種目化とも絡んで引き続き注意しておきたい

zigzagmax.hatenablog.com

 

3.中国近代武士道理念の検討

 たまたま見つけた台湾大学の蔡振豊教授の論文。

 「中國近代武士道理念的檢討

 

この論文では梁啓超が試みた、日本の武士道的な理念による国民教育が実現できず、最終的には体育救国論のような形になってしまった理由として、中国においては日本のように文武両道の武士階級が育っておらず、日本の武士道論のように、その行動規範について語られる伝統がなかったことや、現世快楽主義の楊朱思想の影響を挙げている。最後、結論部分からの引用。

 

對照上述所言產生日本武士道的文化資源,則可知中國多不具備類似
的文化條件。中國不但沒有文武兼備的武士階級,也缺乏由武人相互自律
所形成的規範傳統,更何況又有戀生享樂的楊朱思想為其底層文化。無怪
乎梁啟超橫移日本的武士道,在中國最後僅形成「體育強種」及「恢復尚
武天性以競爭於列強」之論說而已,不能真正達成改造國民性格的目的。

 

ちなみにこの論文とは全然関係ないけれど、四川省で唯一の状元で、清末に日本に留学した駱成驤は、1920年代に四川省で「四川武士会」や伝統弓術の団体である「射徳会」を支援していたらしい。

彼が四川武士会を支援した経緯としては、ドイツから帰国した息子が、ドイツでは「東洋柔術」を専門的に研究習得していると聞いてのことらしいけれど、柔術という言い方といい、武士会という命名といい、彼自身の日本への留学の影響も感じられる部分もあるので(ただの印象)、今後、この辺も頭の片隅において機会があれば調べてみたい。

 

百度の「駱成驤」の記事から

1920年,骆成骧之子骆凤麟从德国留学回来,谈到德国有人专门研习东方柔术。骆成骧深受启发,他想到世界列强纷纷入侵,恣意瓜分中国,要保家卫国,“监阵肉搏之术,不得不讲”,于是有意倡导武术。适逢成都有一个武士会,每年比赛拳足,但时有事端。为振兴武士会,骆成骧被该会推举为会长,他还将自己为别人作碑文的上千元酬金全部捐赠武士会。之后,他亲自出面募集资金,建国术馆于成都少城公园(今人民公园)。四川各地的武士闻风而动,学习柔术,比赛拳足,盛极一时。骆成骧也勤习柔术,还喜欢射箭,并讲授射箭法。他常说:“射以观德,不仅止于御敌强身也。”为此,他创立了“射德会”。

http://baike.baidu.com/view/235323.htm

 

baike.baidu.com

 

〇関連の過去記事

zigzagmax.hatenablog.com

 

4.国際武術連合会による国際功夫聨合会の封殺

昨年この件について報道した安徽太極拳網が、今年になって、国際功夫連合会に不利な報道をしてその名誉を傷つけたのは申し訳なかった、という公開詫び状を掲載した。

でも、国際武術連合会の決定は中国武術協会も支持しているわけだから、安徽太極拳網は中国武術協会の決定に従わないことにした(公然と反旗を翻した)ことにならないのかな??中国武術協会の次の出方は如何に。

 

《向国际功夫联合会的公开致歉信》 - 安徽太极拳

 

www.qqgfw.com

 

〇武術運動管理中心の前主任・高小軍も、最近、国際功夫連合会の傅彪らと会談を行っている模様。現役の主任でなければお咎めはないのかな?

www.qqgfw.com

 

 〇関連の過去記事

zigzagmax.hatenablog.com

 

 5.武術進学園

 学校体育への武術導入、学童への武術普及について、面白いと思った記事

 

www.wzrb.com.cn

 

www.chinanews.com